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“ ありがとう、また来るよ。奄美大島。 ”
奄美大島篇 #79
Photos, essay by T. T. Tanaka
Local / 2024.10.18
“East coast from south to north” 東海岸を南から北にかけあがる
島にさよならが近づいた昨晩、思いっきり雨が降ってきた。涙雨みたいに。
この雨の中、明日は最南端の町から北の空港あたりまで車を飛ばしていくのか・・と思ったら朝、雨が止んだ。

湾沿いに東の岬をまわって北に向かう予定だったのにそのルートは土砂崩れで行けない。でも海峡の先端だけは見たくって途中のマネン崎展望台というところまでやってきた。最南端の町、瀬戸内町は、日本で唯一、海峡を持つ町なのだ。
雨で濡れた展望デッキに女性が一人。
「おはようございます。すごい雨でしたね。」
「ようやくあがったわね。ほら、見て、どんどん雲があがっていくでしょ。ここから見る海が大好きなの。」

木の向こうにのぼる雲、その下に見えてきたコバルトブルーの海峡。海底にはサンゴ礁が広がっているんだ。

右に見えるのは加計呂麻島。美しい海峡にじっと目が止まってしまった。
このリアス式海岸が面する海には元々200種類もの珊瑚が棲息する美しい海中景観だった。明治時代にはお魚や真珠貝を養殖していたそう。それが第二次世界大戦では軍港として使われて敵から銃撃を受け・・ 1974年に海峡全体が奄美群島国定公園になったのだけれど、今度は空き缶やペットボトルが投げ込まれる状況に・・・。
漁業やダイビングの方たちがこのままではと立ち上がって、海に潜り清掃活動を1992年に開始した。少しずつ少しずつ海峡の珊瑚が回復。更にダイビングのボート対応として、珊瑚を傷つけない係留ブイも1983年以降設置されてきた。
この海峡、風が強くてもどこか波が穏やかなところがあって潜れるとのこと。しかも20mほどの水深の珊瑚の群生地にビーチから泳いで到達できるところもあるんだ。ほんの数分。

次の世代のために取り組む人たちと美しい海峡。
手前に目線を戻すとパパイヤの木に雨しずくが残っていた。
東海岸を一時間半、60kmくらい北に走ったろうか? ずっと走っているとふと止まりたくなる。やっぱり海をじっと見たくなるから・・ 今、明神崎展望台という標識が見えた。正午近い。展望台まではちょっときつそうだけど歩いて行ってみよ。

着いたーーー!! 450mの高さ。三角点もある。 わっ、サンゴ礁が上から見えている。

手前に蘇鉄。向こうには土浜海岸、空港、喜界島。
ここから昇る 朝日、すごいだろうね。
深呼吸思いっきりして雲ごと吸い込みたくなる。ああ、ここだけでももっとずっといたい・・・

後ろ髪ひかれながら、駐車場に戻ろうかと足元みると、薄青色のシジミチョウが・・・

下り坂。あら、僕の歩いてゆくのに合わせてひらりひらりと蝶蝶が

その子はときどき花に止まってはまた飛び立つ。
お、目の前に・・・
わー、きれいなブルー。(ちょうちょ苦手な人、ごめんなさい)
これ、アサキマダラ。そんなに珍しいちょうちょじゃないんだけど、くっきり姿を見せてくれて嬉しい。
そういえば、かつて和歌山のアサキマダラ君は南に西にどんどん飛んで行って2500km離れた香港!で発見され、世界第二位の長距離移動が記録されているんだそう。すご! もしかしたら、この子も僕の先祖の和歌山から飛んできて会えたのかもしれない。

北の東海岸にはあちこちビーチがあって嬉しい。ここも寄ってみよ。あやまる岬。
「あやまる」は「ごめんなさい」の意味じゃなくって、アヤに織られたまあるい手鞠(まり)のこと。岬がその形に似ているからなんだそうだ。ちょっと雲がかかっていたけど、海まで下りるとほら、こんなにきれい。

子供たちもパパと一緒に水辺の中に進んでゆける。

ほらね。こんな感じ。海をみんなで見る幸せタイム。ここで星を見るのもいいなあ・・

ここには縄文時代の貝塚もみつかっている。貝やお魚がとれる綺麗な海に面している高台だものね。シャーワー(笑)はその頃はなかったんだよね。

海岸沿いにはアダンやハマユウが育っているし、こんな大きな蘇鉄も沢山。さっき、ガサっと音がして振り向いたらオカヤドカリがササササっとよぎった。見失っちゃったよー。

大きく育った蘇鉄の葉っぱがゆったりゆれている。
こんな景色もしばらく見られないかと思うとさびしい・・・
“願い、祈り”
そして、島の一番北、笠利崎に到達。
待っててくれたのは「夢をかなえるカメさん」。
古来より、ここの海のかなたに幸せをもたらす神の国(龍宮)があるという伝説。
その龍宮の使者とされる亀さん。ご利益をこの像は私たちにもたらしてくれる・・・
このお話があの「浦島太郎」伝説につながっていると言われているのだ。

使者であるカメさんはパワーを持っていて、前左足にふれると女性の願がかない、後左足にふれると長生きできるとか、さわるところによっていろいろ。それぞれに夢をかなえてくれるとされる。
コバルトブルーの海に囲まれて願掛けできるってとっても嬉しい。
さっきまでは男女のペアがそれぞれの場所を触っていた。いいよねー。
うん? すぐ後ろの展望台に歩いていくと・・・

頬杖ついて海を眺める女性が・・・
後ろに男性。
僕;「こんにちは。海、きれいですよね。近くの方なんですか?」

女性;「いいえー、名瀬から車で来てんの。ここ好きでね。二人でちょくちょくくるの。
いいでしょ。ずーっと海で。気持ちいいからね。ほら、あそこは白波立っているし・・・」
僕;「いいですね。好きな海を見に来られるの。」
女性;「そうよー。今日は素晴らしいわ。沢山見ていきなさいね」
男性;(にっこりスマイル)
僕;「はーい。ありがとー。」

ほんとだ。湾からは蒼い色の海が広がっていて綺麗! 左に白く反射している尖がりは最北端の笠利崎灯台。

おーっと、岩を登った若者が・・・
そろそろっと先っちょまで迫って海をじっと・・・
その気持ちわかります。海にできるだけ近づきたいのよね。
亀ちゃんとか泳いでるの見えるといいよね~
行ってみたかった島の最北端。深呼吸してUターン。これから少しだけ南に戻って、空港の近くで最後の夜を迎えよう。そういえばここに来る途中に気になる墓地があった。寄ってみますね。

ここは十字架が並ぶ大笠利カトリック墓地。

フランス人宣教師(フェリス神父さん)が来島されたときに笠利の人達の中で、薩摩藩との関係で失意の多くの方々が信者になられたと言われている。 そして、第二次世界大戦の時期にまた信者たちに厳しくつらい日々が・・・ 司祭たちは北関東に逃れたり、放火にあった鐘が浦和に移ったり・・・

ここにも元気に育つソテツ(蘇鉄)が・・・ 知らなかったけど、なんと、ここ奄美大島から9000枚ものソテツの葉が全国の多くの教会に毎年送られてきた。蘇鉄の葉(枝)はイースター復活祭の一週間前の四旬節・枝の主日に使われる。一年間ソテツの葉っぱを飾り、それを燃やし灰にして司祭から十字のしるしをいただく・・・(あなたは土から生まれたので土へ帰る) もともとは棕櫚の葉であったものだけどよく似たソテツの葉っぱが用いられているとのこと。

海風にソテツの葉っぱのすれる音が少し響いた。奄美の空にそっと手を合わせた。
“潮だまりの浜”
海岸沿いの道路。いきなり現れた大きなボード。

一面に鳥ちゃんいっぱい。すご。ここで見られる鳥たちの紹介。こんなにいっぱいいるのね。ベニアジサシ、エリグロアジサシ、コアジサシ、コサギ、ヨシゴイ、アオサギ、ゴイサギ、リュウキュウヨシゴイ、チュウサギ、ダイサギ、ササゴイ、アマサギ、クロサギ、アカショウビン、カワセミ、トウネン、アカアシシギ、ハマシギ、ソリハシシギ、チュウシャクシギ、ホウロクシギ、セイタカシギ、ダイシャクシギ、セッカ、サンコウチョウ、イソヒヨドリ、メジロ、ミフウズラ、ウミウ、ミサゴ。これら以外の鳥たちにも結構遭遇できるとのこと。ここをめがけて鳥大好きの人達が訪れるんだって

ここは野鳥達にとって楽園といわる大瀬海岸。目の前いっぱいに浅瀬が広がっている。大きな岩もあちこちにあって潮だまりだらけ。岩場だから海水浴には縁遠い。でも、蟹ちゃんも海洋生物たちもあちこちにいて元気いっぱい。空港が近いなんて思えない。

こんな感じで磯から顔出し。

水際を仲間と飛行中の鳥さんたち。アジサシかしら? 海の色がきれい。

赤いのは航路標識かな?
あそこにも鳥がくるっくるっと回りながら飛んでいる。
押し寄せる波の音も気持ちいい。

こんな蟹さんたちの穴。あっちにこっちに。

白くって中がちょっと紫のきれいな貝も・・・

いつまでも歩いていたい浜だけど、潮だまりに傾いた西日が差してきた。

ヤシの実かしら。ぽつんと一個。
満ちて来たらまた波に乗って奄美の別のビーチに行くのしら?
それとも別の島に流れゆくのかしら? 日暮れがどんどん迫ってきた・・
“おはよう。さようなら。”
夜が明けてきた。東の空に残る下弦の月。

暗い海辺だったけど、朝はやっぱりやってきた。

はるか、かなたに姿を見せた朝日。

あかーく東の空が染まる中、だんだん海の色が見えてきた。

更にのぼると放射状の光とオレンジの空。海面がまぶしく光ってきた。

わー。一面、ゴールド!

朝にくっきり、喜界島の島影。
あ、空に飛ぶ鳥が見えた。

元気いっぱいの雲は厚くなったりちぎれたり。お日様の光がちらっ、ちらっと漏れてくる。

顔を洗ってきたら、一気に青い空になっていた。
目覚めた一日がガンガン始まる。

飛び立った朝一番の飛行機。
奄美大島、たくさんたくさんのドラマをありがとう。
また、帰ってくるよ。
この空気の中、海に囲まれて、ちゃんと息をしたい。
生きている実感。
ありがとー。
“ありがとう、また来るよ。奄美大島。”
どうして奄美大島に来たいと思ったのか、いまだによく思い出せない。
海外に行きづらくなったとき「大島」という名前が気になったのかもしれない。
いや、そのとき、私の親友の故郷が奄美だったことを思い出したせいなのかもしれない。気が付いたら飛行機の切符をゲットしていたのだった。
アメリカのフロリダと同じ緯度の亜熱帯の島。
せごどん(西郷隆盛)が、かつて暮らし、沖縄より早く日本に返還され70年が経つ島。
そこにはあふれるほどの自然があり、知らないことだらけの歴史が脈打っていたのだった。
歩いたマングローブの北限の林。遭遇したサトウキビ畑の中の教会。
開拓者の足跡、元気一杯のお魚、ミナミトビハゼ。
パーフェクトな波たちとかつてユーラシア大陸の一部だった海岸。
遣唐使たちは往来時に岬を目印にしていた。
大島紬より前に昔からあった「芭蕉布」。そこにはバナナの一種の糸芭蕉が使われていた。それは深川の松尾芭蕉の庵にもつながっていたのだった。
糸芭蕉のまわりにはホバリングしている蜂雀(ホウジャク)という蛾が沢山いてびっくりした。
一番人口の多い名瀬のエリアには一人の女性を救うために尽力しつつ不時着してなくなった人たちを祈る紅の塔があった。
月桃の葉っぱで包んで蒸しあげた香ゆたかなごはん「サネン蒸し」の味は今でも思い出す。あ、島らっきょもタコも、アオダイも、そして甕づくりのお酒、「龍宮」も。そうそう、けいはん「鶏飯」もね。
あ、お相撲も盛んだった。
そしてなんといってもアマミブルーといわれる海、真っ赤に染まる夕陽。
美しい滝も気持ちよかったし、サキシマスオウの木もその板根がすごかった。ガジュマルの木も見事だったね。
でもまさかの手安弾薬庫跡。そして、対馬丸のこどもたちの悲劇の跡。
海峡の向こうの加計呂麻島に沈みゆく夕陽には息を飲み、立ち尽くした。
48作も続いた映画「男はつらいよ」の最後の舞台だった島。
画家、田中一村が暮らし、作品にも描いたアダンの木や鳥やお魚たち。
奄美で過ごした時間で、自分の時間も歴史の時間も地球の時間も振り返ることができた。
また、ちょっぴりだけど大人になった気がするのだ。
ありがとー 奄美大島。また来るよ。
Photos, essay by T. T. Tanaka
