
“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”
<出発点日本橋エリア>
2025年7/17から2026年5/16まで撮影敢行.宿場53 + スタート + ゴール = 55箇所
昨年のある夏の日,江戸時代, 広重さんが描いた東海道五十三次の絵たちに遭遇。今 この場所はどうなっているの? 興味が日に日に深まったんだけど、どうやって行くの? 東京から京都までの全街道の全宿場を撮影しながら一気に踏破? これは冷静に考えるととても私には無理。 悩んだ末に1日1宿限定で訪問はできそう。宿場エリアを歩き回り撮影することを55回やりきれるなら… 結果は毎月必死で頑張って平均5.5回ロケ。10ヶ月で達成。 うち, 40ヶ所超は早朝出発-その日の夜帰り訪問! 移動手段は車を使わず公共交通機関と徒歩のみ! (アクセス方法は毎回ご紹介しますね)
広重さんが描いた場所(一部想像で描かれたところあり)は全部行ってみました。おそらく彼も多くの宿場でどこのどんなシーンを作品にしようかと悩まれたと思うのです。彼の足元にはとても及ばないけど, 私はフォトグラファーとして心にささる場所をみつけてみたい!と・・・ これ、言うは易しでとっても大変なことでした。いずこも具体的に何が撮れるか全く想像できない不安な中訪問。実際, 街並みも風景も変貌。衰退したり全く新しくなったりごく一部残っていたり….
でもありました! 全宿場エリアに素敵なENCOUNTERS(遭遇)が!! いきもの, 人, 街並み, 自然と。そして何故かその光景にはとんでもなく面白い歴史や自然のドラマなどが込められていました。
一宿場のエリアで探し回って歩いているとあっという間に15,000歩~25,000歩。気付くと日暮れが目の前に。
日本の地理は頭に入っているなんて思っていたけどそんな幻想は見事に打ち砕かれました。例えば東海道はほとんど海沿いで平坦? そんなことは全くありませんでした。富士山や太平洋が見えている場所は限られています。また, 名古屋から京都までの旧街道ルートは多くの人が思う今の東海道線/東海道新幹線の岐阜ルートではありません。木曽川などの河口を名古屋から舟で渡り, 三重から鈴鹿を超え琵琶湖に北上して京都に向かうのです。
東海道沿いは今でも魅力満載!! あなたもRediscover Japan, 日本再発見を東海道五十三次のどこかを訪問する小さな旅からいかがですか? 私のフォトコラムがささやかなきっかけになってくれれば大変嬉しいです。

東海道五十三次のスタート地点、日本橋に来ました!!
「日本橋」と聞くと、まず地下鉄の駅だったり、大きなお店/会社の所在地や、そのエリアのことが頭に浮かんでくる。「日本橋」という「橋」の存在はもちろん知ってるけどじっくり見たことはなかった。観光意識も希薄で、何かの「起点」としても見ていなかった。でも、今回歩いてみたらびっくり! 新鮮な驚きだった。

わ、橋の真ん中に、すごい迫力の青銅像!
竜のようにも見える麒麟。
ほんのりと灯りもともっている。

しかも身体には珍しい羽が…
エネルギーに満ち溢れている。
この「日本橋」を最初に作ったのは江戸時代最初の徳川家康。1603年頃「全国道路網の起点」として木造橋を架けている。その後、火事や洪水や地震等のためこの日本橋は20回近くも架け替えられているらしい。 今の日本橋は百年以上前の1911年(明治44年)にできた石橋! 橋の装飾もその時に作られたもの。
この時期はなんと東京駅が建設中で、明治神宮も造成前夜。日清戦争、日露戦争が終わって日本が近代国家として世界に並ぶことをめざしていたタイミング… 東京から全国に世界に飛んで行こう!という気持ちが込められてるように感じた。
※装飾監修; 妻木頼黄(つまきよりなか)—赤坂離宮、横浜赤レンガ倉庫などを手掛けた明治建築界の大家

橋の四隅には大きな狛犬みたいな青銅像….
橋をしっかり守っている感じでライオンのようにも見える。

前足に抱えているのは何かしら?
これは設置当時の東京市の紋章。
今でも東京をしっかり守ってくれている。

橋の真ん中には今でも日本国道路元標がある。(複製をこんなふうに橋の傍で見ることができる) そう,「起点」という大きな意味がここにあるのだ。江戸幕府が整備した街道たち, これから向かう東海道,そして中山道, 甲州街道, 奥州街道, 日光街道の出発点になっている。


「日本橋」の銘板の横をいろんな人たちが元気よく往来する。
なんとこの漢字, 日本橋は徳川慶喜の書!なんだそう。
江戸との接点が今でもくっきり残っている・・・

日傘が目立つ昼下がり。石橋の上を過ぎてゆく女性たち。後ろからは子供の声とベビーカーが…
欄干の石のカーブがちょっと誇らしくうれしい。

夏の照り返しがまぶしい。
暑さの中, 柳の葉が少し揺れた。

夏休みになっているのね。短パン姿のインバウンドの観光客も沢山。

今の住所表示。横をビジネスマンが渡ってくる・・・
キョロキョロ周りをみてみたら橋のたもとにおりていく広場が…
流れる日本橋川が目の前に見える。
なんとここは日本橋クルーズの発着場になっていた。ちょうど静かに遊覧船がススーッと離れていった。中から外人さんたちが手を振ってくれた。神田川や東京港をめぐるクルーズの色んなコースが発着しているんだ。楽しそう。川沿いには水鳥さん?の柵。

この川岸は江戸時代には最大の魚河岸で舟がひっきりなしに往来していた。毎朝大量に生魚が江戸湾と近場から…. スズキ,ボラ,アナゴ,コハダ,ハゼ,シャコ,アサリ,海苔など。イキがよくっておいしかったんだろうね。少し離れた房総半島,三浦半島,伊豆半島からは カツオ,マグロ,ブリ,タイ,イワシなどが。 三陸からは干物,塩鮭,昆布,身欠きニシン,干鱈など,紀州から鰹節や瀬戸内海から干鯛などが入ってきていたとのこと。 大正12年(1923)年の関東大震災で魚河岸は築地に移った。
今は当時の光景はないけれど、日本橋で食材にこだわった美味しいレストランや料亭のルーツはここなのかもしれない。

あら, 広場で水の音がすると思ったら滝が・・・ ひんやり気持ちいい。石の上を流れ落ち, 日本橋川にながれゆく・・・
更にこんな碑が・・・

「双十郎河岸(そうじゅうろうがし)」と刻まれている。なんと石橋完成100年後の2011年に設置。双十郎とは、江戸歌舞伎を代表する市川團十郎と、西の上方歌舞伎を代表する坂田藤十郎の二人のこと。100年記念行事としてお二人がこの船着場で襲名披露などで行われる「船乗り込み」を再現。江戸と上方の橋渡し! こんな粋なことがここであったとは・・・
ふと気づいた。これから向かう五十三次には歌舞伎の演目由来の場所も幾つかあるみたいなのだ… 楽しみにしてね。


そして日本橋は表通りには、M越とかT島屋など老舗店をはじめ、新旧のお店たちが並び、いろんな人々と出会っていくのがまた楽しい。


鳩が元気よく羽ばたいた。
僕もここが出発点。さあ、いくぞー 東海道五十三次!
ジリジリと暑かったお日様も大分傾いてきた…
あっという間に時は過ぎ、濃かったシルエットも青空に馴染んできた…
歩みゆく元気もお守りもいただいた気がする。
ありがとー 日本橋
(訪問; 2025 7月と8月)

安藤広重の描いた五十三次– 日本橋 朝之景
夜が明けて木戸が開いています。
魚河岸の魚の仕入れに魚屋たちがやってきます。
大名行列が日本橋を渡って出発。西国へ!
「お江戸日本橋七つ立ち~」 の唄の「七つ」は朝の時刻のことでこの絵もその時間帯かしら・・・・
※当画像はライツフリーとなっています
次、 品川宿エリアに向かいます!!
