
“旅はENCOUNTERS?東海道53次篇”
第三の宿、神奈川宿エリア
東神奈川駅(JR/京浜急行)を降りるのは初めて。
駅からすぐの旧街道に向かうと大きなお寺の屋根が並んで見えてくる。

ここは真言宗の金蔵院(こんぞういん)。鋭角の大きな美しい屋根。

山門付近。


パワーみなぎる龍!
このお寺の始まりは平安末期にさかのぼるとのこと。家康が甲斐・信濃を手に入れることでの戦勝祈願でご縁があり、また、一時期、京都へ向かう際の宿泊所としても大事にされたお寺なんだそうだ。境内には「御手折梅(おておりうめ)」なる梅が育っている。家康がここの紅梅を気に入り、自ら枝を一本折って持ち帰ったとのこと。以降、その名前がつけられ、正月にはその梅の枝が江戸城に献上されていた。今の梅は4~5代目。




これはすごく存在が気になった浪切不動尊(なみきりふどうぞん) 川崎大師の平間寺(へいけんじ)の記載も添えられている。海の荒波を沈めたり航海安全を守ったり、また、災難や厄災を断ち切る仏様とされているようなんだけど、境内にある碑をみて愕然・・・
関東大震災(大正12/1923年)でここ、神奈川宿エリアは甚大な被害を受け、多くが倒壊、焼失。更に1945年の横浜大空襲ではお寺の伽藍の大部分を焼失してしまった。今見られる建物の多くは戦後に地域の人々の尽力により復興した!!ものなのだ。 コンクリートの柱も随所に見え、昔の姿そのままではないけれど、逆にそこには人々の復興への力強い気持が込められている。

本堂の一番上からチュンチュンと雀の声。
お、何かくわえているね。

元気に飛んだ!
僕も元気に行こ!
ほんの数分のところには江戸時代の決め事などが告知される高札場(こうさつば)が再現されている。それをすぎると浄土宗 成仏寺(じょうぶつじ)。

お寺の起源は鎌倉時代のよう。門の向こうに見える広い空間と本堂。入口にまたびっくりするようなことが書いてあった・・ ここは「外国宣教師宿舎跡」だったとある。日本が鎖国時代の終焉を迎え、横浜港が1859年開港!したとき、アメリカからの宣教師たちの宿舎となったのだ。その中にジェームス・カーティス・ヘボン博士がおられた。そう、ヘボン式ローマ字のヘボン。彼はキリスト教プロテスタント宣教師であり、また医者でもあったのだ。ここに住みながら、近くの診療所(宗興寺)に通い、当時はまだ少ない西洋式医療で多くの患者さんを無料/低額で診療し、評判が高かった。後に移られた横浜山手の外国人居留地で診療所を開設されている。ローマ字普及、本格的和英辞典の編纂、聖書の翻訳などに尽力。学校、明治学院の初代総理も務められた。77歳1892年にアメリカに帰国。1905年に日本より勲章が授与されている。
※なんと、今回訪問した3か月半後(2025年12/26)に内閣公示が出て驚いた。それは約70年ぶりに日本でのローマ字表記の国の決まりが改定されたのだ。訓令式といわれる、基本表記方法が、世の中で広く使われている「ヘボン式」表記を基本とするルールになった。例えば「ち」はti→chi 「し」はsi→shi 、「とんかつ」はtonkatu→tonkatsuに、「緑茶」はryokutya→ryokuchaに。ヘボンさんが教え、世の中で自然に広がってきた表記に・・

境内の古い石灯篭が結構大きくて立派。


ここに住まれたヘボンさんは本堂をふすまで区切った八部屋も、また、お庭も気にいられていたそう。でもこの成仏寺も関東大震災、横浜大空襲で多くを焼失してしまった。その後、こんなに美しく復興している。

境内、本堂近くに幾つも育つ鉢植えの蓮たち。下がった蓮の実。夏の終わりが近い・・

尖がった屋根先の青空。
ここに住んだヘボンさんのことを想う。
深呼吸して、街道に戻る。
電車の音が過ぎてゆく。すぐそこに京浜急行。線路ガードそばにフランス領事館跡の碑! ここもお寺。浄土宗 慶運寺。室町時代に開創。だけどやはり横浜大空襲で本堂は全焼してしまっていた。が、再興された。ここには浦島太郎伝説。竜宮伝来とされる焼失をまぬがれた観音像や仏具が観福寿寺(浦島寺)から移ってきているのだ。

境内には可愛いく大切にされているお地蔵さん。
そして更に数分坂をゆくと今度はイギリス領事館跡となる。やはりお寺で歴史は1260年まで遡る日蓮宗 浄瀧寺。ここも哀しいことに1945年の横浜大空襲で本堂などを焼失してその後再建されている。


再建されたその力。
今でもすごい迫力で邪を払ってくれているように感じる。
また、少し歩くと今度は身長くらいの小ぶりの鮮やかな赤い鳥居が見えてきた。
あら、お稲荷さん、可愛い。

そしてこのすぐ向かいにあらっ?と思ったら井戸があった。屋根付きで「神奈川の大井戸」と書かれている。この水は江戸初期徳川将軍の宿泊時のお茶の水に、また、隣が 宗興寺 境内なのだけど、そこがヘボン博士の診療所で、治療用の水としても使われていた。診察所では一日に数十人から100人近くの診療を行い、入院患者も受け入れていたとのこと。ちなみにここの井戸の水量増減で翌日天気がわかるとして「お天気井戸」と呼ばれていた・・!!

宗興寺の境内には大きく育ったイチョウ。
まぶしい木漏れ日。この木の下を患者さんたちが、付き添う人たちが往来したんだね。
街道を歩いていたら斜面に面したところにひっそり大きな神社が・・・。洲崎大神(すさきおおかみ)。説明によると源頼朝が1191年創建され、ここには日本書紀にも出てくる大木が育っていたとのこと。「江戸名所図会」にも描かれ、当時はこのすぐ近くまで海。船着き場があった。一歩入ると、にらみをきかした狛犬と立派な石段や社殿。



こちらも関東大震災や戦災で社殿は一度失われたのだが、その後再建されたとのこと。この大木たちに囲まれた空間は気持ちいい。昔からいろいろな命が生き続けているのだと思う。

お詣りをして石段をおりて街道に戻る。
すぐ近くにある浄土宗 甚行寺(じんぎょうじ)。こちらも関東大震災にすべての建物が倒壊焼失、横浜大空襲で再度全焼… (涙)その後鉄筋コンクリートで再建。で、このお寺もフランス公使館として使われた。さっきはフランス領事館だったけどね。お寺が使われることが多かったのは、当時、お寺以外に最適な場所がなかったのが大きな理由なんだそう。建物内の空間の対応をはじめ、檀家への説明等も大変だったみたい。それに、当初、横浜港から少し距離をおいてこの神奈川宿場町エリアに設置されたんだけど、後に、港近くに新たに形成された外国人居留地に移っていった・・ 激動の時代だったんだね。
こんな感じで歩いてくると、気が付くと京浜急行の隣の「神奈川駅」になってしまった。東神奈川駅(JRと京浜急行)から一駅分、ちょうど神奈川宿のあった街道エリアを歩いた感じになる。直線距離だと1km 約15分の距離。
明治5年、鉄道開通時にできた「神奈川停車場」はまさにこのあたりで、駅名が「神奈川駅」というのはその名残なんだそう。
幕末の安政元年1854年に神奈川条約が締結されて開国! この辺りの多くの寺が諸外国の領事館などに充てられた・・・
ちなみに、横浜駅は西に500mのところ。東急東横線反町駅も近い。
そしてこの神奈川駅の宿場側と反対側は港を見下ろす小高い山。そこに大きなお寺が見えている。曹洞宗 本覚寺。もちろん、行ってみよう! 斜面と石垣と長い階段をあがってゆくと・・・山門が・・

この山門は神奈川宿エリアで、災害や戦禍をのがれ残った唯一の江戸時代から建物とのこと! 大きく広がる境内。曹洞宗 栄西が創建とされる。
そしてここも、アメリカのハリスが1859年にアメリカ領事館に選んだそうなのだ。領事館員は1863年に横浜 関内(かんない)の外国人居留地に移るまでここに駐在。また、1862年の生麦事件で負傷したイギリス人たちはここ本覚寺のアメリカ領事館に逃げ込んだ。
ちなみに、この山門、当時、日本で初めてペンキで塗られた建造物といわれている。その色は白だった!


境内の木には大きな蕾。春先に大きな白い花となるモクレンの仲間、マグノリア(朴木/ホオノキ)。
本堂まで歩いてゆくと・・・


こんなに綺麗な屋根があるのね・・・
この屋根には見入ってしまった・・


本堂脇の狛犬も、松の細かい立体彫刻もすごい・・

あら、手前に置かれた十二支のいきものたち。こちらをみていてくれて、ほっこりの気分になれた。ありがとー
お詣りをしていくね。


そして、釣鐘。
この鐘の音を時間の流れを感じつつ、聴いてみたい。
神奈川宿。あまりに多くの歴史的な出来事とその復興に遭遇し、ぼーっとしてしまった・・・。 何かちょっと触れていないものがあってすっきり帰れない気がする。 そういえば、海、間近に見ていない。昔は海辺が近くって舟もすぐ見えていたというけれど・・・今は埋め立てが進んで高速道路も走っているからね。
エイっ、この宿場エリアからまっすぐ海にぶつかるまで行ってみよ! それから帰ろ!
と決めて、ガンガン歩き出した。街道と並行して走る国道15号と高速にぶつかった。行き交う車の上の陸橋を渡ると「神奈川公園」ここに可愛いクマちゃんのウォールペイントがあった。ちょっとほっこりしつつ、更に海際に進む。震災復興橋「宝橋」の親柱という遺構もあった。すぐそばが水辺。貨物線が渡っている。水際にはボードウォーク。横浜西から流れくる帷子 (かたびら)川がちょうど海に流れ込むところ。ポートサイド公園。ちょうど向かいは Kアリーナ横浜やアンパンマンこどもミュージアム。


こどもたちがときどき走り抜けていく。大人たちもめいめいの時間を楽しんでいる。
そう、水際に身をおきながら・・
ここちよい海風が頬をなでてくれた。
Old and New.
その激動の流れの中でもわたしたちは生きている。
うん。帰ろう。
今日もありがとー

安藤広重の描いた五十三次–第三の宿場 神奈川 台之景
江戸日本橋から七里、約28km 「台之景」は神奈川台と呼ばれる海沿いの丘のあたり。現在の台町付近。アメリカ領事館のあった本覚寺からちょい西の坂エリアのよう。眺望の良いところで坂道に宿屋が並び、船着場として栄えた港が描かれている。水平線上に突き出ているのは野毛山でその先の半島は本牧岬とみられている。
次は第四の宿、保土ヶ谷宿、第五の宿、戸塚宿エリアに続いてゆきますよー。

