
“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”
第二の宿、川崎宿エリア
川崎。いろいろご縁があったのに、ちゃんと町の歩みとかを意識して歩いたことがなかったので駅を降りたときからとっても新鮮。
江戸時代、宿場で栄えていた川崎。川﨑駅は明治維新後の明治5年に出来た。それ以降、大商業工業地帯として発展。しかし、哀しいことに第二次世界大戦下、大空襲を受けてかなり焼けてしまった。
今、駅はJRの東海道線/南武線/京浜東北線、京浜急行の京急本線/大師線のアクセスがあってとっても大きい。その駅から南側の旧東海道方向に向かう。
遭遇した美しい建物。1938年建設の川﨑市役所本庁舎は戦時下でも焼け残ったのだけど、後に解体され、新ビルに。時計塔には当時の意匠を感じるし、旧市長室も復元されていて、25Fには展望フロアもあるとのこと。そこ、改めて行ってみたい。


すぐ近くの交叉路には街道や広重のことがかかれたサインがあった。五十三次の気持ちモードになってきた。
街道沿いに少し東京側に戻るような感じで多摩川方向に・・・。
ビルの合間の天台宗の幸福寺や馬頭観音にも立ち寄りながら宿場跡を歩いてゆく。川﨑競馬場近くになってくるともう多摩川の六郷橋がそこに・・・ 箱根駅伝で勝負のポイントとなる橋ね。(国道15号線)

六郷橋に つながる国道の下。行き交う人のシルエットがくっきり。

走っている人に結構遭遇する。つい、駅伝を思い出してしまう。


来たよ! 来たよ! 多摩川。六郷橋。
江戸時代、多摩川の下流は六つの郷(村)にまたがる地域を流れていて、六郷川といわれていた。知らなかった。
結構見晴らしがよくって爽快。東京都側に立ち上る夏雲も見事ね。おっ、遠く川を渡る電車の音が聴こえるし、川を往来する船も見える。橋まわりを歩いてみよう。

国道脇の歩道。あれっ? これは何?

これは当時、多摩川を橋ではなくて、渡し舟だったので、その舟模型?みたい。江戸時代、東海道整備の際、家康は多摩川に橋(当時200m超.今は450m弱)をかけているんだ。でも、高波にやられて二度、崩壊。橋をあきらめて渡し舟にしたんだそう。宿場は東京側でなくて川﨑側になった。流れゆく水面の向こうを見たら、大正時代の橋の跡なのか、石積みが見えた。あ、真下を川沿いに電車がゆく。大師線。

鳩ちゃんがのんびり川を見下ろしている・・・
その横に幾つか碑があることに気が付いた。
一つは「明治天皇 六郷渡御碑」 1868年、明治天皇は前年天皇に皇位継承され、この年、京都より新しい都、東京に向かわれた。当時は常設の橋がなく、広い川幅に23隻!の船が横一列につながり、その上に橋を渡して「船橋」がつくられ(これを「渡御橋(とぎょばし)」という)この上を明治天皇の行列が渡られたとのこと。壮観だったろうね。
もう一つは「長十郎の碑」 まったく想像がつかないことが書かれていた。梨の人気品種は今は豊水や幸水だけど、昭和30年代までは圧倒的に「長十郎」。 なんと、川崎のこのあたりは梨園が沢山あったのだ。ここの梨農家の当麻辰次郎さんが他と異なる梨をみつけた。当麻さんの屋号の「長十郎」と名付けて増やしていった。その後、梨の病気が流行した時に、この梨が病気に強かったことで一気に全国に広がっていったとのこと。川﨑というと商工業のイメージが強いけど、多摩川沿いには全国有数の梨園が広がっていたのだ・・・

自転車お散歩の人も・・・。河口を見たら羽田空港から飛行機が飛び立っていった。地図を見ると川﨑大師まで歩いて30分ほど。鉄道が引かれるぐらい歴史的にも大人気だった大師に行ってみよー。晴れているし、初訪問。川沿いに歩くよー
少しゆくと・・スマホ地図に数百メートル先に気になる表示が出てきたのだ。国の登録有形文化財「川﨑河口水門」とある。味の素さんの敷地の水際にありアクセスできるみたい。

↑進行方向に見えてきたあれ(左の下)かしら・・・?

確かに古そうな水門のようだ。(右側)↑

水流を調整するプレートが上下する門。
上部の横の梁がツルっとしているのは、つけてあったレリーフが落ちてしまっているためで、そこにはエジプト水運の船が刻まれていたとのこと。結構大きいよね。見たかった・・・

左右に正立している柱にはこんなに綺麗な縦筋が・・・

真横を歩いて通ると多摩川の向こうに湧き立つ雲。

柱に沿って水門のプレートを上げ下げするチェーンが下がっている。錆が年月の経過と海のそばであることを物語っている。

この水門は大正15年(1926年)に着工され、昭和3年(1928年)に完成。柱の上部には大正14年に制定されたまあるい川崎市章が施されている。川﨑を横切る大運河計画だったのだけれど、計画予定地に工場など建物が建てられて幻の計画となってしまったとのこと。
もし、完成していたらどんな景色に、町になっていたのだろう・・・?

そして、遠目にも気になっていた柱の上のモコモコのオブジェ。
解説を読んで初めてわかった。あ、あの梨! そして桃と葡萄がその正体なのだ。なんと、当時の多摩川沿い川﨑エリアは梨だけでなく、全国有数の色々な果樹園が広がっていたのだった。

1998年に国の登録文化財に。高さ20m 横18.7m

かつては果樹園。その横に掘り進む予定だった運河。その入口の水門。湧き立つ雲に流れゆく川。自然と建造物と。夢と現実と。

真夏の真っ青な空に鳶が飛ぶ。
さ、じゃ、川崎大師に向かおう。水門のすぐ近くに大師線の鈴木町駅がある。ここは1913年に味の素さんが河川近くの生産拠点を求められ用地を確保された。1923年の関東大震災の工場崩壊をも乗り越え再建、創業者の鈴木三郎さんにちなみ町の名前が鈴木町に。気持いいし、そのまま駅を横目にみながら歩く。
すぐに大師駅。駅前商店街は、ちょっとウキウキ。だるまさんも並ぶ中、黒蜜きなこの久寿餅(くずもち)や わらび餅、手焼きせんべいやごま菓子、など目移りするんだけど・・
まず本殿に向かわないとね。

青空に、すごく立派な屋根!と思ったらてっぺんに鳥が・・

弘法大師を祀る川﨑大師(平間寺へいけんじ)。この朱色の円に近い八角形の屋根の五重塔も見事。

堂々とした大山門。四方に四天王が配置されている。
ここからの景色はなかなか素敵。
この大きな提灯もなかなか目にしない。


もう夕刻にかかるんだけど、お詣りする人の流れは止まらない。
それぞれがそれぞれの流れで歩み、参拝してゆく。


老若男女。
会社への往来途中で立ち寄る人達も結構おられる。


お正月とかの世の中の節目だけじゃなくって、それぞれの節目やきっかけでお参りにくると、ちょっと心の中もほっとするよね。僕もお参りして行こう!

境内もゆったりしていてこんな景色にも遭遇できる。
まあるい宝珠と五重塔と。

弘法大師遍路尊像。健脚を願い像から下がっている草履に水をかける人たちも多い。そして、八角五重塔の近くには2015年に亡くなられた大相撲の「北の湖関」の銅像が・・ 彼は毎年参詣されていたとのこと。彼の雄姿にここで再会できるとは思っていなかった。彼は本当に強かった

お稲荷さんの向こうにお詣りする人の姿。

元気な鳥の声がすると思ったら屋根の上に・・

そして初めて遭遇したこの実。これ、ナツメ(棗)の木なんだ。
木自体は何回かあっているんだけど、実が見事になっているのを見るのは初めて。
もともと、初夏に芽吹くことから「夏芽」といわれるそう。ドライフルーツにもなるし、生はリンゴのようにさっぱりした甘味らしく・・・ 見るからに美味しそう。

陽が傾いてきた。
今日も頭の中に刻まれた、沢山の遭遇・・・
ああ、そろそろ帰らねば・・ 改めてお参りにこよう。
ゆっくり味わいたいスイーツもいろいろあるしね・・・

安藤広重の描いた五十三次–第二の宿場 川崎六郷渡舟
現在の神奈川県川崎市川崎区あたり。日本橋を出発する東海道五十三次の行程で最初に渡る大きな川がこの多摩川。対岸は川崎宿。多摩川の渡し船の「六郷の渡し」。奥には西日で真っ赤に染まる空と雪をかぶった富士山。
第三の宿は神奈川。第四は保土ヶ谷、第五は戸塚宿エリアになりますー

