<戸塚宿エリア>

“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”

第五の宿、戸塚宿エリア




(2025 07-2026 05に全53宿場訪問/戸塚エリアは2025 1006)

JR戸塚駅ホームについた。ここは東海道線/横須賀線/湘南新宿ライン、また、横浜市営地下鉄ブルーラインの駅にもなっている。江戸時代、栄えた宿場町は衰退せずに明治20年(1887年)に駅ができると以降、交通拠点としても発達してきたのだ。

ホームが川にかかっている。柏尾川(かしおがわ)。
広重が描いたこの川にかかる「大橋」のところまでまず行ってみよう。歩いて10分ほど。
柏尾川 by T. T. TANAKA
おっ 江戸時代の雰囲気漂う欄干。川は意外に静かに流れてゆくね。
川底が見えているし、深くなさそう。
柏尾川 by T. T. TANAKA
過ぎる雲、青い空、でもまだ強い日差し。
柏尾川 by T. T. TANAKA
電線にシルエットと思ったら鵜(ウ)。
川原に下りていってみると・・・
柏尾川 by T. T. TANAKA
草むらの手前に蛙ちゃんのペイント。
そして、近くに野草「ミズキンバイ」(水金梅)の説明ボードが・・ アカバナ科の絶滅危惧種! 水域の埋め立てや除草剤の影響で激減。国内の千葉、神奈川、高知、宮崎県の4県のみ棲息! 都市河川ではここだけ。浅い水深で、湿った泥地、中州や川岸の寄洲があり、時に増水するなどが適する希少な環境みたい。その黄色い花は6月末~9月。残念。終わったばかりだった。見にこないとね。
柏尾川 by T. T. TANAKA
川に飛び込んだ亀ちゃんを目で追っていったら、浅瀬を行く金色のものが・・・ 鯉ね。水紋と鯉がキラキラ・・・
柏尾川 by T. T. TANAKA
雀、見下ろす柏尾川。
柏尾川 by T. T. TANAKA
ちょうど昼休みの時間。川原に来たくなる気持ち、わかる気がする。
柏尾川 by T. T. TANAKA
満開の白い彼岸花がまぶしい。
川原を上がって大橋を渡り駅方向に行ってみる。

駅近くは坂が結構ある。
コンクリートの斜面。気になる入口はお寺の入口だった。浄土宗 清源院とある。境内に上ってゆくと・・・
清源院 by T. T. TANAKA
高台の本堂には南向山(なんこうざん)と書かれ、徳川家の、「三つ葉葵」の御紋が目に飛び込んできた。 調べてみたら、なんと、寺の前の東海道を通る大名行列は門前で槍を横にし、馬を下りて敬意を表したとのこと。
ここは家康側室お万の方が、かつての寺跡にお寺を建立。彼女が病気の家康を駿府城へ見舞ったときに、彼から授かった「歯吹阿弥陀如来像」が納められた。そして彼女は死後、ここで火葬され、遺骨は高野山に納められたと言われている。 お寺はその後、江戸時代に何度も火災にあい、明治時代には1880年の火事に巻き込まれ、1923年の関東大震災で倒壊・・・ 今の本堂は昭和初期に再建。

お詣りして境内をぐるっとまわっていると気になる小さい三つの碑があった。「松尾芭蕉の栗の句碑」と、「朝日堂の碑」と、「心中句碑」。どれもその背景に心を打たれたのだけど、ここでは「心中句碑」のことだけ少し触れますね。賑わいを見せていた戸塚宿場町の旅籠の遊女で16歳の ヤマ。相手は18-19歳の薬屋(あるいは旅籠)の息子 清三郎。身分や立場の違いから結ばれず、1863年(文久3年)宿場内の井戸に身を投じて心中。当時は心中はご法度で許されず公に顕彰されるものではなかったのだけれど、人々の間に大きな衝撃が走り、二人を哀れんだ人々がその年、ここ清源院境内に供養のための句碑を建てたのだ。
「井にうかぶ 番ひ(つがい)の果てや秋の蝶」(匿名句)

哀しい気持ちをふりほどいて、通りに戻り、坂を少しあがる。
美しい山門の臨済宗 高松寺(こうしょうじ)が見えてきた。
高松寺 by T. T. TANAKA
宿場町になる前からこの地域を守ってきた寺院・・・
高松寺 by T. T. TANAKA
宿場から近く、宿場の人々の菩提寺であり、旅人の休息場であり、地域信仰の場として親しまれてきたよう。横浜市指定文化財の和尚像や涅槃図も大切にされている。
境内はそんな時間が静かに流れている。
高松寺 by T. T. TANAKA
高松寺 by T. T. TANAKA
高松寺 by T. T. TANAKA
咲いたばかりのみずみずしいお花をかかえた石像・・
高松寺 by T. T. TANAKA
階段にはドングリが・・・

お寺の後ろの山を少し上ると・・・庚申塔。
その近くに道祖神があった。男女寄り添う微笑ましい像。1789年建立とある。
道祖神 by T. T. TANAKA
坂を街道までおりてゆくと大きなピンクの芙蓉(フヨウ)の花が目に飛び込んできた。
臨済宗 海蔵院というお寺。南北朝時代(1363年)に創建されていた。
このお寺には戸塚宿七福神の「布袋尊」が祀られているとのこと。
海蔵院 by T. T. TANAKA
海蔵院 by T. T. TANAKA
黄色い花芯と畔やかなピンクのこのお花は大好き。

寒くなっても葉っぱを落とさないキヅタ(木蔦) 球状に集まった蕾たち。もうすぐお花がかわいく咲く。
海蔵院 by T. T. TANAKA
海蔵院 by T. T. TANAKA
ガマ(蒲)。お腹が空いていたせいか、フランクフルトソーセージに見えてしまった・・ その向こうに見えているのが・・・
海蔵院 by T. T. TANAKA
釣鐘。浮き彫りの雲に乗って琵琶を奏でる天女(飛天)。縦ではなく、横向きに抱えるのは、ペルシャ由来の古代琵琶のスタイル!!だそうで奈良時代の正倉院などに伝わっているとのこと。

江戸時代、夕暮れになると東海道を歩く旅人たちが鐘の音を聞きながら戸塚宿へ急いだりしたそう。「海蔵院の晩鐘」は明治時代に「戸塚十勝」(戸塚の景色ベスト10)に選ばれていた。ちなみに、この十勝には、さっき訪れた清源院の「南向山賞月」も入っている。背後から上る月が田園を照らす風景。昔の戸塚は田んぼが美しく広がっていたんだ・・

日が暮れかかってきた。晩鐘が鳴った気がした。
そろそろ駅へ戻らねば・・・

戸塚駅横。実は旧東海道は線路を横断していたのだ。
東海道線/横須賀線/東海道貨物線の上下線2本ずつの6本も横断しなければならなかった広ーい踏切。ピーク時には1時間のうち57分くらいも遮断されていた。それが2015年に地下道開通で閉鎖された。
その踏切場所はこんな感じで残っている↓
戸塚駅 by T. T. TANAKA
戸塚駅 by T. T. TANAKA
線路を横断していた旧東海道のペイントがまだ色を残している。
柏尾川に沿いながらここまで街道が来ていた。
ちなみに箱根駅伝ではかつてはこの踏切を選手たちが渡っていった。
電車が来て遮断器が下りてしまうので待ち時間はタイムから差し引いていた。その待ち時間の間に後ろの大学が追い付いてその後の展開が変わるというドラマもあったのだ。たすきのリレー地点はこの踏切そばにあった。

ああ・・今回もドラマだらけの訪問となった。ありがとー 戸塚!

安藤広重の描いた五十三次–第五の宿場
戸塚東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道

1833年に広重の描いた柏尾川の大橋付近。橋のたもとには「左かまくら道」との道標が立っている。橋を渡り左へ曲がると鎌倉へ向かう別道があった。旅籠の大きな看板には「こめや」と書かれている。軒先には「大山講中」や「月参講中」など様々な神仏参詣の団体の名前。ここがこれら講中の指定休憩所だったよう。旅人がちょうど旅籠に到着したところ。馬からあぶなっかしく降りる感じも面白い。


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