<藤沢宿エリア>

“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”

第6の宿、藤沢宿エリア



(2025 07-2026 05に全53宿場訪問/藤沢エリアは2025 1105)

JR(東海道線)藤沢駅を降りて旧東海道六番目の宿場エリアにやってきた(徒歩15分くらい)。 東京日本橋からはちょうど50kmぐらいになる。
頭の中にあったのは江の島が近いことと箱根駅伝の「遊行寺の坂」(ゆぎょうじ)(復路の8区は難所!)があること。 全く不勉強だったけど、江戸時代、藤沢は江戸から庶民が小旅行にくる一番人気の宿場だったのだ。「遊行寺」を観光して宿泊し、そこから海の「江の島」まで往復するのがゴールデンルート。その人気だった秘密知りたい・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
遊行寺(藤沢山 無量光院 清浄光寺)は鎌倉時代、一遍上人が開いた時宗の総本山。弟子たちがここに道場を開いたことがこのお寺の始まり。
身分に関係なくすべの人に、一時一時を大切に唱える念仏を全国を歩いて布教された「遊行」からそう呼ばれている。
入口からは石畳の坂(いろは坂)がずーっと境内まで続いている。
坂の右手が海方向となる。
遊行寺 by T. T. TANAKA
掃き清められた石畳にはらはらと落ちていた色づいた葉っぱ・・ あらー。両脇が桜なのね。春も来なきゃ・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
わっ。一気に広がる境内。すっきり気持ちいい空間。
この大木は銀杏(イチョウ)。藤沢市内で最太の木。昔、火災で焦げた跡が残り、更に44年前の台風で地上6mで折れてしまったんだけど見事に回復している。樹齢は250年以上で、650~700歳との推定も・・ 雄株で実(ギンナン)はならない。
遊行寺 by T. T. TANAKA
木陰のベンチにたたずむ人。
この気持ちわかります。座ってこの空間に身を置いていたい・・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
本堂でお詣り前に龍からのしずくで手を清めて・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
この高台でお祈り。身体中が景色に溶け込んでゆく感じが快適。江戸時代は天気がよければここから江の島が遠くに見えたそう。気分は大盛り上がりだったんだろうな・・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
手を合わせておられる一遍上人像
遊行寺 by T. T. TANAKA
モミジが大分色づいてきた。11月に入っているからね。
遊行寺 by T. T. TANAKA
遊行寺 by T. T. TANAKA
宿場町になる前からこの地域を守ってきた寺院・・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
色とりどりの金魚や鯉が元気に泳ぎ水紋があちこちに現れる放生池(ほうじょういけ)。その名前は捕らえた生き物を逃して命を救う「放生」(ほうじょう)からとのこと。
遊行寺 by T. T. TANAKA
そして驚きの言い伝えが・・ 五代将軍徳川綱吉が出した「生類憐みの令」(1685年より20年超実施)。このときに全国から金魚が池に集まってきたのだ。金魚や銀魚(白い金魚)も殺生してはいけない対象になった。幕府は江戸市中で飼われている金魚・銀魚を集めて遊行寺の池へ放して供養する措置を取った・・ 飼っている金魚の数の登録、放生の金魚の数の届け出を命じた。「生類憐みの令」は犬だけでなく、金魚、亀、鳥、魚など広範囲に及んだと言われている。遊行寺では江戸の金魚が一斉に引っ越してきた~~!!状態に。  

えーっ! びっくり池を振り返った。元気いっぱいの金魚。金魚と遊ぶ子供たち。水辺は歓声に包まれていた。
遊行寺 by T. T. TANAKA
釣鐘と本堂。
遊行寺 by T. T. TANAKA
苔蒸す石仏にも会えて嬉しい・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
本堂の奥を少し上がると・・・
小さいながらも静かにまもられている祠が・・・
近づいてみると・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
宇賀神社とある。ここには元々大きい社殿があったのだ。が、哀しいことに江戸時代末期にも明治時代にも焼失してしまった。真ん中にポツンとあるこの小さい社は明治前期に建築され、国の登録有形文化財になっている。
宇賀神社はもともとは五穀豊穣、食物、財福を授ける神として信仰されていた。室町時代に徳川家康の遠い祖先、松平家の祖、有親(ありちか)が遊行上人の弟子(徳阿弥)となった。彼はその時、先祖を供養するために宇賀神社を祀った。それ故、徳川家康、歴代将軍も徳川家ゆかりの場所として遊行寺を大切にされてきたと言われている。

更に奥に歩みを進めると墓地。まわりには大きな森が・・・ カヤの木、アラジイ、楠、タブノキなど巨木がすくすくと育っている。この木たちは江戸時代から今の時代まで、お詣りに訪れる人たちを見守ってきたんだね。
遊行寺 by T. T. TANAKA
境内奥に小栗堂。まさに江戸時代、一世を風靡した大河ドラマのようなお話に「小栗判官(おぐりはんがん)と照手姫の物語」があった。そのメイン舞台がこの遊行寺。聖地巡礼の如く沢山の人々が訪れたのだ。それは単なる「恋愛物語」ではなく、「死んだ人がよみがえる」「どんな苦難の人も救われる」というお話でもあった。

小栗判官は室町幕府成立前後の動乱期を生きた人物とされ、彼が物語の主人公。
常陸(現 茨城県)の武将(判官)だった小栗満重は政争に巻き込まれる。照手姫という美女と恋に落ちる。姫の一族の策略で小栗は毒殺される。照手姫も命を狙われ流転人生に。小栗は死後、閻魔大王の計らいでこの世に戻される。 閻魔大王の札を胸につけ弱り切った餓鬼阿弥(がきあみ)の姿の小栗は、遊行寺近くで遊行上人に見つけられる。上人は熊野の湯に行けば元に戻るという閻魔の意を受けて、小栗を土車に乗せ遊行寺から熊野に向かわせる。すると全国の人々が車をひき熊野まで運んだ。小栗は熊野の霊験で復活。ついに照手姫と再会。
また愛馬「鬼鹿毛」(おにかげ)も登場する。かつては手のつけようのない荒馬だったが、小栗の器や人徳で主人に仕えるようになった馬。小栗が毒殺されて鬼鹿毛は主人を探して遠くまでゆき、最後は力尽きて倒れる。主君に忠義を尽くし、恩を忘れぬ馬として感動的に受け取られていた。愛馬「鬼鹿毛」の墓といわれるものも二人の墓に並んでいるのだ。 このお話は室町時代には説教節として語られ、江戸時代は三味線を伴う浄瑠璃の題材となり、江戸時代後期には歌舞伎や絵巻としても大ヒットした。小栗堂は今はひっそりとあるお堂なのだけど、当時は物語の最大の舞台として大人気スポット、きっと映える場所だったのだろうね。
遊行寺 by T. T. TANAKA
気が付くとお日様が傾いてきた・・
お寺と大木とお話と・・・
今では想像もつかない物語に呆然としながら本堂に降りてきた・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
大きな蘇鉄(ソテツ)と中雀門
この門は幕末のペリー来航後1859年に建てられているのだけど、関東大震災1923年に本堂なども大損害が広がるる中、転倒した。しかし、形は大きく崩れず、引き起こされて残った。驚くほど頑丈・・
奇跡の門とも言われている。すご・・
遊行寺 by T. T. TANAKA
その門には徳川家の三葉葵の紋に加え、皇室の菊のご紋がある。

美味しそうな和菓子屋さんに心ひかれながら、石畳を下りようかとしたら、えー、今度は何? 「板割浅太郎の墓」という表示が目に飛び込んできた。
(長くなるので迷ったけどやっぱりここで触れておきます)
浅太郎は江戸時代末期の侠客(きょうかく)。国定忠治の子分で最も忠義真心の強かった人物とも言われる。国定忠治は役人の手入れにあった後、浅太郎の叔父、勘助の裏切りを疑い、浅太郎に勘助を討つよう命じる。浅太郎は勘助と幼子の勘太郎も殺してしまった(別バリエーション話あり)。勘助の首を手に下げ、勘太郎を背負って赤城山を超えたとされ、この場面が「赤城の子守歌」として歌謡曲や浪曲の題材となった。浅太郎は勘助・勘太郎を殺した自分を悔い、やくざ渡世を捨て信州佐久の時宗寺院で出家。名を改め(列成和尚)、遊行寺に入り、堂守として修業、人生をやり直した。 明治時代に遊行寺が火災にあったときには全国を回って寄付を募り寺の復興に尽力したともいわれている。後に作家 山本周五郎が「遊行の浅」という作品を書いている。

ちなみに 遊行寺は落語では「鈴振り」の舞台になったり、映画でも「アウトレイジビヨンド」(2012 監督;北野武)で大イチョウなどが一部シーンに使われている。

遊行寺は罪や苦しみを背負った人を救済する寺として庶民に親しまれていたこともあるのか、時代を超えていろんなお話が詰まっている。

遊行寺の境内から石畳を少しおりてゆくと途中、左手にこじんまりしたお寺が・・・真徳寺とある。中に入ってみると・・・
真徳寺 by T. T. TANAKA
キバナコスモスが満開でパーっと明るい。嬉しい気持ちになった。
真徳寺 by T. T. TANAKA
印象的な仏足!
そして、ここには杉山和=杉山検校(すぎやまけんぎょう)さんの石碑があった。彼は江戸時代の有名な盲人鍼灸師。現在の管鍼(くだはり)法の創始者。幼い頃に失明、江戸時代に鍼術を極め、徳川綱吉の病を治し、盲人教育、職業制度の整備にも貢献されたのだ。いいお話ね。

街道に戻って歩いていると背の高い緑の森が見えてきた。 その中には 「かながわの名木100選」に選ばれている「常光寺のカヤ(榧)」があった。
常光寺 by T. T. TANAKA
25mもある樹高。樹齢は300年。胸高周囲5m
真上を見上げると、てっぺん遠い! 木陰が大きい。ほんと巨木。さらに裏山には35mの高さの樹齢1000年のものもあると言われている。硬すぎず狂いにくく木肌が美しいとされ、将棋盤や碁盤の最高級材として、また、仏像彫刻、数珠、工芸品用として珍重されてきた。松の仲間ではなくてイチイの仲間。その実は炒って食べられるからお菓子や食用油や灯火用にも使われていた!
常光寺 by T. T. TANAKA
森の中の常光寺。浄土宗のお寺。宿場完成前の1572年に創立とされる。ご本尊は鎌倉ゆかりの阿弥陀さま。お詣りしていこう。門をくぐると・・・

常光寺 by T. T. TANAKA
えーっ ブーちゃんがにっこり笑ってベンチささえているし・・・
常光寺 by T. T. TANAKA
デンデンムシちゃんがいる。亀ちゃんや蛙ちゃんもいて、楽しく子供たちも遊べるね。ほっこりにっこり。

ひょうきんな感じに思わずにっこりしながらふと思い出してしまった弥次さん喜多さん。そう、十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)が江戸時代に書いた大ヒット作品、東海道中膝栗毛。お笑い芸人みたいな二人。庶民の代表みたいな彼らは日本橋を出発して東海道の宿場を泊まりながらお伊勢さんまで向かうのだ。もちろん、藤沢宿にも泊まる。宿場には江の島観光に行く人たちも沢山いてごった返していたみたい。お伊勢さんまでの街道をずっと歩きは大変なのでときどき籠に乗ったり・・ここ藤沢でも籠にということで交渉したんだけど騒ぎを起こしている。

僕も少々歩き疲れたのでどうしよう。まだ帰るモードじゃないし・・。ひょうきんないきものオブジェに遭遇したせいか、ふと頭に浮かんだカブトムシ。そう、カブトムシ(beetle)大好きの友人の顔が久しぶりに浮かんだのだ。確か藤沢居住。SNSで連絡とってみたら時間をこじあけてお寺の前まで飛んできてくれた。

彼が好きなのはカブトムシ(Beetle/BUG)と言われる車。
アンティークのVW(フォルクスワーゲン)車。
藤沢に住んで、その海を愛し、サーフィン大好き。
会社勤めでアメリカに行くチャンスがあった時に、素敵なビーチ、サーファーたち、彼らに愛されているBeetle/Bugと遭遇してしまった。気づけばそのかわいい古い車に命を吹き込むビジネスで奔走することに。この藤沢をベースにしてね (BUGS Garage)
藤沢 by T. T. TANAKA
乗せてもらった車。
カブトムシのバスバージョン。
50年以上前の車が生き返って元気いっぱいの鼓動を響かせてくれる。
藤沢 by T. T. TANAKA
彼の地元の遊行寺に行ったことを語ったら、昔、境内から江の島が見えたという話になった。その江の島を望む海岸は車だとすぐだから行ってみようということになった。夕暮れで曇っているけど、嬉しい。
江戸時代は宿場から東側の境川沿いに駕籠(かご)や徒歩で5kmほど下って江の島に向かったのだけど、僕たちは西側の引地川沿いにカブトムシで下って鵠沼海浜公園に向かった。(最寄り駅は鵠沼海岸駅)
鵠沼海浜公園 by T. T. TANAKA
ありがとー 着いた~~~!! 日没までに間に合った。
頬にあたる海風が気持ちいい。ほっとするね。

あ、この車も半世紀以上前のカブトムシ(Beetle/BUG) 
勿論、ルーフの上には・・
鵠沼海浜公園 by T. T. TANAKA
おー カッコイイーー サーフボード。
江の島に向いています。
江戸時代から変わらぬ島影。っと思ったけど、そうか、真ん中の灯台はなかったし、サーフボードもなかったね。 
鵠沼海浜公園 by T. T. TANAKA
イルカのフィンみたいなのがいいね。
波に乗って江の島向かうの、気持ちいいだろうな~
鵠沼海浜公園 by T. T. TANAKA
フィン後ろを光がよぎった。江の島の灯台(シーキャンドル)のあかり。
鵠沼海浜公園 by T. T. TANAKA
おー あっという間に日没タイム。
灯台の光、戻ってきたサーファー、波の音。
濃くなった雲の影、江の島の姿。

今日もすごかった・・・
生き返る、生まれ変わる・・・
人も、生き物たちも、車も・・・
江戸時代も、その昔も、そして今も。

来てよかった。ありがとー。
藤沢。

安藤広重の描いた五十三次–第六の宿場 藤沢東海道五拾三次之内 藤澤 遊行寺

後ろに描かれているのが遊行寺。右の方が江戸になります。街道は宿場を過ぎ大鋸(だいぎり)橋で境川を渡ってくる。絵の左に行くと東海道。手前、南に下りてゆくと江の島に。人気の江の島に行く人たちが目立ちます。


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