
“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”
第10の宿 箱根宿エリア
(2025 07-2026 05に全53宿場訪問/箱根エリアは2025 1027訪問他以前あり 全ての宿場訪問は公共交通機関/徒歩だったが、箱根宿エリアのみ車併用)

旧東海道の箱根、石畳の残るエリアにやってきた。
江戸から京都に向かうとき、別格の最大難所は箱根八里だったと言われている。ちなみにそれに迫る難所は西の鈴鹿峠。
また、日本を代表する古道の石畳としては、中山道木曽路の石畳や熊野古道の石畳などと並んで紹介されることが多い。
僕が訪れたのは、旧街道に面した甘酒茶屋の後ろあたり。江戸時代に敷設された石畳の道がしっかり保存・復元整備されている。ここの石畳は石と小石を二層に組んだ頑丈な構造なんだそう。
(※箱根湯本駅から甘酒茶屋までバスで旧道(国道732)を直通20分ほど。海抜690m 箱根駅伝は麓の箱根湯本から少し北側の新しい国道1号線を駆け上がる。)


ここは箱根上り4里の険しい区間。このエリア、雨が多く、火山性の土壌で、雨が降ると膝や すねまで沈む泥道だった。延宝8年(1680)頃、幕府は大規模な石敷き工事を行った。大名行列を通し、参勤交代を円滑にし、人馬の往来を可能に、雨でも通れるように・・ 当時の大インフラ整備ね。
でも、歩く旅人にとっては、ぬかるむよりはるかにいいのだけど、ちょうどいいところの石に足をのせて歩き続けるのは至難のわざ。草履では足裏につらいし、雨の日は滑るしヘトヘトに・・・

使われた石たちは、地元箱根火山地帯の玄武岩など・・ 重い石を山道まで運び敷き詰めるのは大変。
旅人たちは上ってゆくつらいとき、目を落とすとこんな感じで落ち葉があったんだろうね。

苔の緑でおおわれた切り株。
その向こうを今は登山者や観光客が行き交う。

地面には明るいゴールドやダークブラウンの落ち葉が・・

石畳の上の方に赤いちっちゃな星形のものが見えると思ったら、これはクサギの実。

濃いピンクの中に青い瑠璃色の実が収まっているね。

この白くかわいいのがクサギのお花。クサギとは臭木と書く。
すぐ育ってあまり好かれる香でないのでそういわれているけど、鎮痛・止血・解熱・染料としても使われてきているとのこと。この実が美しくて僕は好きなんだ。

空が晴れるとキラっと揺れるススキ。

ススキの下から空を見上げて見たら、あっ、あのシルエットはモミジ。

甘酒茶屋に木漏れ日。
箱根の東坂は旧斜面の連続山道で、小田原から上がってくる人たちにとってこのあたりはぴったりの休憩場所。今の時代だと道の駅みたい。 疲れがたまっていて温かい甘酒で休む。ちょっとしたおもてなしを受けて栄養補給もかしらね。
今残るのは1軒だけど、かつては箱根地域に9軒あったとのこと。

あ、ここでお茶して夕方から箱根の温泉に入って泊っていきたい・・・
インバウンドの人達が外の席でのんびり。バイクで訪れている人も・・・
ここもまた改めて来なければリストに入ってしまった。
まぶしい午後の陽。
次に歩を進めよう・・
更に70mほど上がってゆくと、右手が急に広がって静かな池が見えてくる。
お玉ヶ池とある。

山の姿を映し込む美しい景色。

色づいた木々も混じりだしてこれから一気に秋が深まりそうな感じ。あまりに素敵なのでこの池のまわりを歩いてみようと思ったら、手前にある看板が目にとまった。お玉が池の由来が書いてあったのだ。
なんと江戸時代の悲しい事件と伝説だった。
元禄15年(1702)、伊豆の大瀬村(現在の南伊豆町)農家の少女「お玉」は江戸に奉公に行っていたのだけれど、馴染めなかったのか、つらい扱いを受けたのか定かではないのだけど、故郷へ帰ろうとしたのだ。しかし、箱根関所は身元を証明する手形が必要だったのに彼女は持っておらず、山中の抜け道を超え、関所の柵を超えようとしたところを捕らえられた。関所破りは重罪で処刑される。伝説では処刑されたお玉の首をこの池で洗ったのでいつしか「お玉が池」と呼ばれるようになったとされている。
関所の掟の厳しさと、少女への哀れみからこの話が世の中に広がったとのこと。
なんということ・・・ そう、ここからもう少しで街道は海抜最高点になり、そこから芦ノ湖に下りると関所。そこからは下って故郷の海方向へむかう。

お玉が池の水辺を歩くと向こう岸に白い一点。

白いのは頭から首。
アオサギが一羽。

食べ物をつっついていたみたい。パッと飛び立った。
緑の茂みの中の羽ばたきがとっても印象的だった。

秋だね。
お玉の話でちょっとしんみり・・・
黙とうしてカメラを肩にまわし街道に戻った。
ここからあと少しで旧東海道の最高点、海抜約846mぐらいになる。(この山の向こう側を走る駅伝の1号線の最高点は874mぐらい)
箱根は、小田原から箱根登山線で箱根湯本経由、強羅(ごうら)まで約50分。そこから箱根登山ケーブルカーで早雲山まで約10分。そこから大涌谷経由桃源台(芦ノ湖)まで二つのロープウェイを乗り継いで約50分。
このルートでも行ってみることに・・

早雲山駅からのロープウェイに乗って、グツグツと湯煙を立てている大涌谷を上から眺める景色はなかなかダイナミック・・

そうそう、普段の生活でロープウェイのゴンドラとすれ違うなんてないし、しかも山が下に見えて。ちょっとワクワク。

(上の写真) 下りてきた元の大涌谷方向を振り返ってみた。
右手(南方向)に大きく見えているのが駒ヶ岳(1356m) 中央火口のある方向ね。
更にロープウェイが下りて姥子(うばこ)駅を過ぎると・・・

あっという間に芦ノ湖畔の桃源台駅に着いた。
名物の海賊船が停泊中。雲がかかっているのだけど、山の頂と広い水面と大きな船が非日常レベルを高めてくれる。

今、就航中の海賊船は、ロワイヤルII、ビクトリー、クイーン芦ノ湖。
何故に箱根で海賊船との議論のある中、最初の海賊船は東京オリンピックの年、昭和39年(1964)に就航。以降、観光の顔となってきた。
びっくりしたのは、大きなこの船、どうやって標高723mの山上湖まで運んだのか? なんと、船体を分割してトレーラーで箱根の山道を輸送、湖畔で組み立てていたのだ。観光船の乗り場のすぐ近くの専用ドックで組み立て、クレーンで湖へ進水。造船所みたいなのが出来て昔からの芦ノ湖の船大工の技術も活かされたとのこと。知らなかった!

湖畔をたたずんでいると猫ちゃんがトコトコとゆくし・・

カラスは桟橋の手すりでヨイショと片足あげているし・・

鴨のこの子は頭下げてかわいい恰好だし・・


と思ったら水の中で羽広げたり、水中をつっついたり・・
その姿見ているだけで楽しい。

対岸の森に霧が立ち込めている。浮かぶ小舟の景色が美しい。

外輪山の木々の濃淡。上がってゆく霧。


このぼんやりの感じの山の稜線が美しい。



豊かな水の上を大きな船がゆく・・・
実は、なんと、この芦ノ湖、約3100年前の縄文時代までは存在していなかったのだ。神山(箱根で一番高い山)で水蒸気爆発が起きて山の一部が崩壊、岩や土砂が仙石原方向へ流下。当時の早川を堰き止めて天然ダムとなって水がたまって芦ノ湖ができた。外輪山にも囲まれていて水がたまりやすいとのこと。

遊覧船のデッキの向こうに舟が浮かぶ。豊かな湖。
霧の中の外輪山。ながーい歴史の中で切り取った景色みたい。
そして曇り空だったんだけど、箱根で見たかった日没にチャレンジしてみたくなった。車で外輪山の上の縁を芦ノ湖スカイライン沿いに急いだ。ここというところに止まってみた。杓子(しゃくし)峠。

上からのしかかるような左右にべったり広がった雲、手前に厚い山影。
その間にまぶしい景色が・・
ちょうど箱根の西坂を下りてゆく方向。
左から伸びているのが伊豆半島。駿河湾に突き出している。

数分経つと濃い赤に・・

ちょっぴり西方向を向くとちょうどお日様が雲から出てまた沈んでゆくところ。
美しい日没。
あー、今日も、いい時間だった。ありがとー。
石畳、甘酒茶屋、お玉ヶ池、ロープウェイ、芦ノ湖。
次々印象的だった。
お玉のお話でつい関所跡には行きそびれてしまったし、
富士山も拝めなかったけど・・・
でもね、松尾芭蕉は、箱根で次の句を詠んでいるんだ。
「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」 — 野ざらし紀行(1684年)

安藤広重の描いた五十三次
第10の宿場 「東海道五拾三次 箱根 湖水図」
東海道最大の難所、「箱根八里」。
険しい二子山が目の前。眼下に芦ノ湖。
左奥にかすかに白い富士山(※画像ではうっすら)の遠景。
大名行列が山の合間を進みゆく。芦ノ湖に着くと関所。
モザイクようにカラフルな山々。

たまたまかなり前にフィルム撮影した写真が出てきたのであげておきますね。
外輪山の南の天閣台あたりから撮影。左に富士山。更にその左に駿河湾。右に箱根駒ヶ岳。白い霧が芦ノ湖の真上にかぶっています。
広重の描いた富士と望む方角は同じかもですが、位置はちょっと南から。
はい、松尾芭蕉の詠んだ 霧しぐれ の上に見えている富士でした。(笑)

