<原宿エリア>

“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”


第13の宿 原宿エリア



(2025 07-2026 05に全53宿場訪問/原エリアは2025 1101)

東海道線に乗ると沼津駅から7分くらいで原駅。
そこから2分も歩くと東海道が近づいてきます。大きな屋根が見えてきたと思ったら、文化元年(1804)創業の老舗酒蔵の高嶋酒造さん。
三沼津市 原 by T. T. TANAKA

わあ、酒粕ですよ!(改行) 
甘酒、粕汁はもちろん、お肉やお魚の粕漬けは美味だし、下味にも、味噌汁やお鍋のコク出しにもいいし、日本らしさが・・・(改行) 
子供の時、父が焼いてくれた板粕が大好きでお砂糖くるんでおやつにほおばっていたけど・・・(子供にエエんかい? (笑))
でも年末が近づいてきているってことよね。
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

気が付いたら地元の方々がペットボトルにお水を・・・(改行) 
富士の霊水を汲んでゆけるのだ。私も飲ませてもらったけど、まさにまろやか。

富士山の湧水には4種類あるらしい。
それぞれ、富士山の雪雨が湧水となるまで浸出するのにかかる年数が違う。30-50年、80-100年、180-200年、300-330年の4種類。ここの水は300-330年前の水! え、今飲んだの、江戸時代のお水!?(改行)    
地下150mの岩盤の下から湧いてきている。バナジウム他多くのミネラルを含むウォーター。それが飲めるのがすごい。高嶋酒造さんのお酒では、この地下水を仕込み水として使われているとのこと。もう気分は江戸時代(笑) 

原にはここ出身の偉大な禅僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685-1768)がおられた。
彼は死後、明治天皇から国家の師と仰ぐべき高僧として「正宗国師」の称号を贈られた。それを伝える勅使だったのが政治家であり禅修行者でもあった山岡鉄舟。彼が原を訪れ高嶋家の酒を飲まれてそのお酒を「白隠正宗」と名付けられた。
ちなみに、当時、「駿河には秀でたるがふたつあり、富士のお山に原の白隠」といわれていた。白隠慧鶴は500年に一人の天才高僧だったんだそう。また、「達磨図」をはじめ、禅の教えを表した一万枚以上!の絵を描かれたと・・・ 知らなかった・・・
(AIで作成した簡略イメージで失礼します。ご参考まで) 

原地区を歩いた一日、この白隠さんの怒涛の存在に圧倒されることになるのだった・・・

海に近い平らなところを5分ほど歩くとお寺が・・・
沼津市 原 徳源寺 by T. T. TANAKA 
(※ケーブルコードは消しています)
沼津市 原 徳源寺 by T. T. TANAKA 

臨済宗 妙心寺派 徳源寺とある。素敵な山門。境内に入ると・・・
沼津市 原 徳源寺 by T. T. TANAKA 

まぶしいくらい真っ白な花びら。かと思ったら葉っぱのような萼片(がくへん)といわれるものと鮮やかな黄色のお花。中国の伝説の霊峰、崑崙山(こんろんさん)に降り積もる雪に見立てた崑崙花(コンロンカ)が咲いていた。ハンカチの花ともいわれるんだけどね。ちょっと心が軽くなった感じ・・
沼津市 原 徳源寺 by T. T. TANAKA 
沼津市 原 徳源寺 by T. T. TANAKA 

先ほど触れた白隠禅師は14歳の頃、ここ徳源寺の和尚さんについて、古典の素読や読み書きを学んだとされているのだ。
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

おっ 松と富士。

実は鎌倉時代、源頼朝がこのエリアで巻狩(まきがり)を行っていて、この場所に陣営を置き御殿を建てていたそうなのだ。
この巻狩とは、大勢の武士が山野を取り囲み、獲物を追い込んで行う大規模な狩猟。源頼朝が武士団の結束や軍事訓練、権威を示すために行った大行事だった。大規模軍事演習+政治的儀式の意味合いかしらね。
そして、この土地が選ばれたのは、富士山麓、愛鷹山周辺から駿河湾まで広ーく開けた草原で馬を走らせ、獲物を追い込みやすい地形で、全国から集まった御家人たちに鎌倉殿の力を示すのに最適だったみたい・・・

鎌倉時代にその御殿が寺院となり、室町時代に禅寺として再興し、江戸時代に妙心寺派 徳源寺に・・ 長い歴史。
今は5/5子供の日に子安地蔵大祭が開かれる。立ち並ぶ朱色の子供の名前が書かれた幟(のぼり)とともに安産と子供の健やかな成長を願う地域行事も催されているとのこと。富士の裾野の赤い幟。いい季節に子供達のいい思い出になりますよね。

富士山の方を向いたまま200mほど北東に歩くと浅間(せんげん)神社に遭遇。街道に面している。
沼津市 原 浅間神社 by T. T. TANAKA 

わ、すごい富士山が描かれている。
海から真正面が描かれているんだね。
脇に雷神と風神。
鳥居に桜の花びら?が積もって、まわりの松林に舞っていっている。
沼津市 原 浅間神社 by T. T. TANAKA 
沼津市 原 浅間神社 by T. T. TANAKA 

この神社は甲斐武田氏の家臣、植松氏が1582年武田勝頼滅亡後、ここ原町に移住。神を敬う気持ちから慶長14年(1609)頃に自分たちの氏神として創建。祀られている主祭神は富士山信仰と結びついた木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。
この地域には戦国期から人が移り住み、江戸時代に宿場町として発展していったんだね・・
本殿でお詣りして失礼しようかと思ったら、富士山が刻まれている石に気が付いた。
沼津市 原 浅間神社 by T. T. TANAKA 

しゃがんで見てみると、富士山頂の左が少し盛り上がって彫られている。ここから見る富士山そのものね。あら、後ろには、ほんとの富士山が住宅の上に顔を出している。

じゃ、立ち上がって、通りに戻りますね。

っと、その向いにはまたお寺が。日蓮宗、昌原寺(しょうげんじ)。
気になってそのまま境内にお邪魔すると・・・
沼津市 原 昌原寺 by T. T. TANAKA 

鉢に育った蓮がそっと咲いて・・ メダカも気持ちよさげ・・
沼津市 原 昌原寺 by T. T. TANAKA 

緋色のメダカも・・
沼津市 原 昌原寺 by T. T. TANAKA 
沼津市 原 昌原寺 by T. T. TANAKA 

なんと、この昌原寺を開基されたのは、徳川家康の側室、お万の方! 
彼女が東海道移動中に原宿の本陣に宿泊。その時、南無妙法蓮華経のお題目が聞こえてきた。それは小さな庵から。その庵に出向かれ、読経を聴聞された。彼女自身、非常に熱心な法華経信者だったのだ。彼女は庵主と土地の所有者を呼び、ここにきちんとしたお寺を建てなさいと言われた。これがきっかけとなり、徳川幕府から支援もいただき元和8年(1622)に寺院がたてられた。念願が叶った彼女は完成した時、日蓮聖人の御真影を駿府城を通じてこのお寺に寄進されたとのこと。
沼津市 原 昌原寺 by T. T. TANAKA 
沼津市 原 昌原寺 by T. T. TANAKA 

そして、ここも、あの白隠慧鶴との接点が・・  
少年時代(岩次郎)11歳の時、「地獄」についての説法を和尚さんから聞いてその恐ろしさに強い衝撃を受けたと言われている。どうしたら地獄の苦しみから逃れられるのか真剣に考えるようになり、これが仏道を学ぶきっかけになったとのこと。

富士、湧水、お酒、頼朝の巻狩、お万の方、白隠慧鶴、地獄・・など想像もしていなかったドラマの連続にちょっとぼーっとしながら、近くの海へ・・ 
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

松林が ずーーーーっと続いている。
海の音もこの松原はミュートしてくれる。それを抜けると・・・
沼津市 原 by T. T. TANAKA 
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

松の木々から富士山が頭を出している。
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

ススキの向こうに広がる駿河湾。
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

カモメが湾を横断中・・・
沼津市 原 by T. T. TANAKA 
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

盛り上がった波が砕けゆく・・・
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

身体中で細かい水しぶきと海の音をあびる。
気持ちいい。
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

角丸の小石たち。
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

その上に波がかぶる。石たちが動いてぶつかりあっている。
その音も好き。

そして海の近くにまた寄らねばならないお寺が・・・ 
松蔭(しょういん)寺。
原という宿場が全国的に「禅の町」になった中心舞台なのだ。
鎌倉時代の古寺が江戸時代初期に再興し、白隠禅師が住職となり、全国的な禅の道場になっている。
沼津市 原 松蔭寺 by T. T. TANAKA (改行) 

松と本堂。
沼津市 原 松蔭寺 by T. T. TANAKA 

この山門は瓦がなんと石。30cm x 1m 程のサイズが表裏あわせて108枚使われている。石瓦葺きは白隠の考案とのこと。切妻造といわれ、伊豆石が使われている。ツルっとしないで不思議な感じ。山門と開山堂は2016年に国の有形文化財に登録された。改行)
沼津市 原 松蔭寺 by T. T. TANAKA 

珍しい黄実万両(きみのまんりょう)が元気いっぱいに実っている。
沼津市 原 松蔭寺 by T. T. TANAKA 

今日は五色幕がかかり、シルエットの蘇鉄(そてつ)の葉っぱも時々揺れる。

白隠禅師はこの松蔭寺で出家、その後全国を修業して回り、33歳で松蔭寺に戻り住職となり、84歳まで原と深く関わられた。
彼が住職となったとき、寺は荒廃していたそう。色んな人たちの力を借りながら再建。次第に全国的に名僧になってゆき、全国から僧が集まる町になっていった。彼の墓は境内にある。
五十三次をたどり、原地区でお寺を巡っていたら彼の歩みに遭遇、また、彼の存在自体も学ぶことができた。感謝。
沼津市 原 by T. T. TANAKA 

では、そろそろ駅に戻りまーす!

沼津市 原 by T. T. TANAKA 
あら、引き込み線の跡。かつては東海道線 原駅からセメント会社やガス会社、印刷工場などに貨物の専用線が引かれていたのね。
沼津市 原 by T. T. TANAKA
沼津市 原 by T. T. TANAKA

この線は1953年5月に新設。30年経って1984年に原駅での貨車扱いが廃止、翌1985年に専用線も廃止。そして40年経って原駅は2025年に無人駅に・・(改行) 
この時代、寺院仏閣でも、また、色んなものも残していくこと自体、大変なこと。まして使われないものだと・・・。 でもリアルな歩みが少しでも残っていると時代を超えて人々もつながっていくような感じがする・・・ 

錆びたレールの脇にどこにでも見かけるカタバミの花。可愛かった。
さっきは駆けていった子供の姿があった。
沼津市 原 by T. T. TANAKA

歩いてゆく道、足元に目を落としたら、マンホールの蓋。ここにもあった富士と松と駿河湾。

駅に着いた。
駅舎には1900年開業当時のランプ小屋が残っていて、そのとなりがお手洗い・・・
えーーーーっ!
沼津市 原 by T. T. TANAKA

ちっちゃいスペースにはめ込まれていたステンドグラス。
富士山と愛鷹山と松林が・・・
明るく今に輝いていて嬉しかった。

ありがとー 原。
また来るね。

安藤広重の描いた五十三次–第13の宿場 原
東海道五拾三次之内 原 朝之富士


2人の女性とお供の男性。海に近い湿地をゆく感じかしら。
背後には、朝焼色にほんのり染まった雄大な富士山。
鳥が飛び立っていきますね。
女性たちはその景色に思わず足を止めてる感じ・・・
沼地には2羽の白鷺(しらさぎ)。
富士山のてっぺんは画面をはみ出していて・・・



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