



進行方向を見ると由比駅近くになると山が段々海に迫ってくるのだけど、蒲原駅辺りはまだ平らなエリアがあってそこを昔の東海道、国道1号線、東名高速、JR東海道在来線が通っている。
(新東名高速とJR東海道新幹線はもっと内側をシュワーっと走っている)
(静岡の駿府城まではまだ20km以上離れている)
“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”
第16の宿 由比(ゆい)宿エリア
(2025 07-2026 05に全53宿場訪問/蒲原→由比エリアは2025 1216)


おっ、鳩たちの戯れ。きっと彼氏と彼女。シルエットがくっきり。
ここは駿河湾の海岸線から300mぐらいの ちょっと高台にある海寶寺(かいほうじ)。

石像のシルエットも美しい。

海寶寺は江戸時代より少し前の天正年間(1573-1592)に開山の臨済宗 妙心寺派。名前との関係はわからないのだけれど、昔からこの辺りでは海からやってくる仏様に関する伝承が残っている。

少し高いところからの海。ちょうどお日様が反射して目に入ってくる。

半島(伊豆半島)もいい感じで海に浮いている。


海をみて仏様たちにお会いして深呼吸。
ふらっとお寄りしただけなんだけど、絵になるところで嬉しい。

お詣りして出ようと思ったら入口の仏様もやさしそう。
ほっこりした気分で街道の方に向かう・・・
と すぐ神社の境内が現れた。

ゴールドの絨毯に赤いアクセント。
銀杏(イチョウ)の落ち葉に椿(ツバキ)の花。
境内が明るい。
正八幡(しょうはちまん)神社とあった。こぶりだけど地元に大切にされてきた様子・・。

境内の銀杏の葉っぱが落ちたばかりでふんわりと重なっている。

近くにはこんな石を使った古い建物も残っていて・・
蔵などに使われたり建物のベースに見られたり。
しっかりしている感じ。残っているのは珍しい。

こういう昔ながらの木造の大きなお家も。
木のラインが美しい。

酒蔵のいい香り。「正雪」 は、由比生まれの由比正雪さん由来とのこと。山が迫ってきています。
10分ほど歩くと「正雪紺屋」(しょうせつこうや)の前に

江戸初期から続く紺屋(染物)屋の建物。
江戸時代の※由比正雪(ゆいしょうせつ)はここの生まれで屋号はそこからなのだ。
※由比正雪; 1605?-1651
江戸時代前期の軍学者。慶安の変(由比正雪の乱)で幕府への反乱計画の首謀者とされている。徳川三代目 家光死去後、跡継ぎの家綱わずか11歳の時。
社会不安や浪人対策で世の中が不安定だった頃。正雪は浪人を集め、駿府城を乗っ取り、江戸で放火し、御三家や老中屋敷に矢や鉄砲を射かけた。さらに大坂や京都でも騒動の準備。浪人の数は約1500人。が、事前に明るみになり・・・自害。
蜂起の原因としては幾つか説がある中で浪人救済説が通説とのこと。
で、実はこのお店の真ん前が・・・

由比本陣跡。本陣内には大名等の宿泊に使用された母屋や、表門や木塀、馬の水?場が再現されている。井戸(深さ5.5m)の跡は今でも残り、徳川家康公お手植えの松の史跡もある。 そして、静岡市東海道広重美術館が併設されていて広重の五十三次作品をじっくり鑑賞できる。版画の工程解説もわかりやすいし、体験スタンプも楽しい。五十三次グッズもいろいろ。僕も迷いながら53次ハンカチを何点か選んでゲットしちゃった。(みなさん、行ってみてー) 今回は速足で一気見だったので再訪ですね。
そして、明治天皇が小休された離れ館が記念館「御幸亭」(みゆきてい)で内部再現されている。あまり多くの人は立ち寄られていないみたいだけど訪問してみた。中に入ると・・・



奥のお部屋から眺められる枯山水のお庭。ちょうどモミジが鮮やか。二条城や南禅寺などの庭の作家、小堀遠州(1579-1647)によるものかと言われている。

お部屋にはほんのり生けられたピンクのお花。
気持があたたかくなる・・
反対側の南のお部屋の前には松櫃園(しょうひえん)というお庭。命名したのは山岡鉄舟とのこと。水をたたえた池がある。っと光るものが・・・

わっ 金色の大きな魚が・・ 目の前を悠然と泳いで過ぎて行った。
この魚はソウギョ(草魚)とのこと。

ヒヨの声が響いた。
ドウダンツツジは かなり色づき、冬はもうそこ・・・
季節の変わり目の いつもと違う時間が自分の中でも流れていった。
外に出ると「馬の水飲み場」
そこには・・・

亀ちゃん。じっとしながらチラっとこちらを・・・
無駄な動きは一切なさそう・・
うん、セコセコ動いてばかりいちゃいけないですよね。
私のことです。反省・・・
街道に戻って由比港に向かって歩を進めてゆくと、通りから少し入ったところに延命寺というお寺が・・・

由比氏は1317年頃、自分の屋敷を割いて日蓮宗の正法寺を創建したのだが、織田信長・徳川家康の戦国時代の1579年に突然、近くに浄土宗のこの延命寺を建立したのだ。今でもその訳はよくわかっていないとのこと。来世の極楽往生を願う阿弥陀如来が祀られている。
本堂を守る龍・・


獅子は空をにらみ・・・ 牡丹?の花をくわえているよう。

境内で遭遇した石仏。少しさび付いたような色に宿場地区の歩みがにじみ出ているみたい・・
お詣りをして失礼しようと思ったら、
「振り向けばご恩を受けし人ばかり・・」という言葉が貼ってあった。
お寺のあったあたりはまさに宿場の宿が並んでいたところ。
天保14年(1843)の東海道宿村大概帳によると由比の町並みは約600m, 人口は707人、戸数は160軒、うち、本陣1, 脇本陣1, 旅籠32という小さな宿場だったので、近隣村にお応援をもらっていた(加宿という)。
その宿場の西にある由比川がここ。
橋は仮板橋。大水が出る時はとりはずして川留め(通行止め)となる。
今、国道1号線と東名自動車道は板橋ではなくコンクリート橋。その下をもぐってゆくと・・・

川の上流方向をみると

大分陽が斜めになってきた中、白鷺がえさをついばんでいる。

飛び立つとその羽が光に透けてまぶしい。

JRも鉄橋をわたってゆく。
川の傍らにあったのは入上(ゆりあげ)地蔵堂。
由比川はひとたび大雨になると「きちがい川」といわれるほど急に水かさが増し、溺れて水死する者がいた。この地蔵堂はこの水難者を祀った川守地蔵とのこと。江戸時代、広重が描いた由比川の風景(五十三次(狂歌入東海道))に「ふみ込めば草臥足(くたびれあし)も直るかや 三里たけなる 由比川の水」(詠んだのは結城亭雛機(ゆうきていすうき)) 川に足を踏み入れば歩き疲れた足も治るだろうか。三里もの長さがあるという由比川の水に浸せば・・・
ここの昔の地名が入上(ゆりあげ)。天正5年(1577)本陣職の由比光広が夢のお告げで由比浦浜に出てみると海上に金色まばゆい仏像が波にゆりあげられてきた。この仏像をお堂を建てて祀った。紀州粉川寺からゆりあげられてきたとされ、この地を「ゆりあげ」と称し、観音像は大法寺に祀られているとのこと。

まさにまばゆいこの景色。
お日様の真下には、山の鋭角シルエット。
そこを望遠レンズで覗いて見ると・・・

高速道路が海沿いに左に行かず、海際を避けて右に迂回してトンネルに向かってゆく。
次回はあの落ちている山の中腹あたりに行くのね・・・
とことこ街道を歩いてゆくと、
元旦の「お太鼓祭」お知らせのポスターが目に入った。
気になったので地図を拡大してみると
少し山寄りに豊積(とよづみ)神社があることがわかった。
そこに寄ってみよー。
ちょっぴり高台方向にほんの数分歩くと豊積神社に着いた。

落ちたばかりの赤いモミジの葉っぱ。
鳥居の後ろにはキラキラの銀杏(イチョウ)。大木だね。
歴史と風格の空気がここにはある。

かなり古い神社で 白鳳年間(7世紀後半)には五穀の神、豊受姫(とようけひめ)を祀っていたが、平安時代になると富士山・浅間信仰が広まり、木花咲邪姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀るようになったとのこと。
本殿は江戸時代後期に建て替えられたもので艘欅(けやき)づくり。

そして驚いた最大の逸話は、坂上田村麻呂。
延暦16年(797)に蝦夷征討に向かう田村麻呂がこの神社に立ち寄り、戦勝祈願をした。戦に勝利し、再びこの神社に立ち寄り、神楽を奉納している。これが現在まで続く「お太鼓祭り」の起源とされているのだ。1200年以上前の出来事から。
このお祭りは県指定、無形民俗文化財(1998). 田村麻呂の戦勝祝いの神楽が小太鼓を叩きながら村を練り歩くもの。しかも、太鼓そのものに神様が宿るというのが他にはあまりないそう。めでたいことがあったお家には太鼓が入ってゆき(渡り初め)、家の中で太鼓をたたき歌を歌い祝い事を祝福する(入れ太鼓)。
伝承されている歌は800曲あまりも・・・!!

イチョウの木は高さが27m, 幹回り約9.1mもある。
楠(クスノキ)は樹齢約400年とされる。

秋を踏みしめながらお詣り。
大分日が傾いてきた。
海の方に向き直って、街道に戻り駅へ・・・
と思ったのだけど、やっぱり立ち寄ろう由比漁港に。そう、桜エビ漁で有名な港。
日の沈む前に間に合った。
自動車道路の継ぎ目を踏むトラックの音が時折 港に響く。

近年は海水の状況変化であまり獲れない時があるというニュースで気になっていた・・・
港にあった説明によると、明治27年(1894)、猟師の今宿さん/渡辺さん共同の鰺(アジ)船が富士川沖に出漁中、大量の桜エビを引き揚げ、一気に注目された。明治30年(1897)には由比/蒲原で160隻の鰺船が桜エビ船に変身、大正2年(1913)には町内産物ではみかんを抜いて第一位に。
昭和18年(1943)にはこの地に船泊りとして港が作られた。
昭和41年(1966)には東名高速道路がこの上を、昭和43年(1968)には由比・蒲原漁協が合併。
時代の中で美味しい桜エビがここからレストランに、私の食卓にも来たのかと思うと感慨深い・・・

空が藍色に、更に濃くなってきた。
あ、網。桜エビ漁のだね。
桜エビは昼間は水深200-300mの深いところにいて、夜間は20-30mあたりまで浮上してくる。イカ漁と違って集魚灯をつけずに2隻の船で網を引くんだそう。海流と水温と餌となるプランクトン、そして季節。夏の産卵期は休漁期間でそれを避けて春と秋。また月が明るいときは深いところにとどまりやすいんだそう。

港の縁におばあちゃんとお散歩のワンちゃんの影が見えた。
今日はひっそり。港もおやすみしてね。
また、ここ、来てみなければだよね。

そうだった。
今日、由比本陣のところで遭遇した桜エビちゃんがいたのだった・・(笑)
今日も旅を堪能できたよー。ありがとー。

