


“旅はENCOUNTERS—東海道53次篇”
第17の宿 興津(おきつ)宿エリア
(2025 07-2026 05に全53宿場訪問/由比→興津エリアは2025 1222(一部以前のもの含む)))
目に飛び込んできた街道の真っ赤なポインセチア。
年の暮れを教えてくれる色ね。
今、駿河湾に面した街道沿いに、由比(ゆい)地区から、東海地区の難所、薩埵(さった)峠を越え、興津(おきつ)地区に向かっている。
12月なのだけどいつもの年よりちょっぴりあったかい。でも頬に当たる風はやっぱりひんやり。
このあたりのポインセチア、いつ、誰が植えたのか、わからないけど、日本には明治に入ってきたみたい。海の向こう、メキシコあたりが原産地なのね。

街道の向こうには左右に走り去る車たち。
海との狭い幅のところに国道1号も東名自動車道もJR東海道線も走っているのだ。
(※新東名自動車道路と東海道新幹線は、もっと手前の東の方からトンネルで内陸を突っ切ってあっちの方にいってしまっている)

駿河湾をゆくお船。飛行機もゆくね。後ろは伊豆半島。
半島の下の方に霧がかかっている。手前の海には波の横筋が・・・。
ちょっとした光の角度と強さと水分と風でできるグラデーションが面白い。
海辺にはこんな鵜(ウ)がいたり・・・

あくびなのか、元気いっぱいの雄たけびなのか・・・

松影に島影に船影。
街道の寺尾澤橋をわたって右奥の方、少し山寄りに神社があるみたいなので寄ってみることに・・
坂には昔学校だったのかしら? ちょっと懐かしいプールが見えた。
その奥に宗像(むなかた)神社。

「宗像神社」は全国にある。多くは宗像三女神と呼ばれる三柱の女神を祀り、海上安全や航海の守護と結びついているとのこと。
ちょうど、境内から駿河湾を見下ろせる。

今は人っ気がほとんど感じられないのだけど、かつてにぎやかただった雰囲気が漂っている。

境内に残るちょっと広いスペース。
その脇の石に刻まれている文字は「相撲場跡」。
神様に相撲を奉納したり、豊作・豊漁を願い、地元の人達の力自慢や、こども相撲などがあったんじゃないかしら・・
そういえば、ちょっと気になるのがこのコラムの後ろにつけてある広重絵。力士をしょって川を渡る光景なのだ。今日行く予定の興津(おきつ)川。
江戸時代からこの街道は力士と関係があったはずなのだ・・・

街道を進むと山斜面がどんどん近づいてきて、歩くとすぐそばが山。神社やお寺の境内は鋭い坂の上。まさに顔も体も笑っちゃうくらいの急階段・・ 八坂神社、鞍佐里神社、宝積寺…
山茶花のピンクレッドが美しい。

坂でみつけた軒の飾り。
なんとお魚が彫ってある。
カツオかしらね。昔から鰹(カツオ)漁があったと伺った。

そして目の前にほんとに冗談のような急坂が迫ってきた。
江戸時代、これからのぼる厳しい薩埵(さった)峠の手前のここ西倉沢辺りには一里塚や、川島家など間(あい)の宿といわれた10軒ほどの休み茶屋があった。のちに明治天皇のご小休所となった柏屋さんの跡もある。
旅人たちはここでお茶を飲み、疲れをいやし、駿河湾の景色に感動し、旅立っていったとのこと。 まさに今もその通り!!
この正面の急に立ち上がってゆく坂。
これを一気にあがってゆくんだね。
さ、覚悟決めて行こう!

あらー いきなり急な崖の上に立ち木。
つるがからんでいるみたいだけど・・・

崖の中腹あたりに松の木。
え・・・ あ、あそこまで登って歩いて行くのね。
左側はそのまま海に落ちてゆく・・・
崖の中腹、薩埵峠まで近づいてきた。
坂は少々きついところもあるんだけど、どんどん景色が広がってきてとっても面白い。西からのハイキングですれ違う人も時々おられてお互いニッコリ、こんにちはー。
っと、わっ・・ あれは富士山ではないのか?

雲がかかっちゃっているけど・・・
望遠でのぞいてみると・・・

喉をうるおしつつちょっと休んで10分くらい経って超望遠の先に・・・


すご。離れてるけど山の合間、抜けたところにグイーンと見えるド迫力・・・
富士山の上は真冬なんだけど、手前は午後の陽の光があたり、
海の色はびっくりするほどコバルトで季節を間違ってしまいそう。


みかんも大きく育ってあったかい感じ。

これ、レモン! 立派に育ち、芭蕉の葉っぱもゆらゆら・・・
ここはどこ?
ちなみに、後で調べたら、明治時代に薩摩の国 鹿児島出身の大迫貞清(元陸軍中佐→静岡県令→警視総監→初代沖縄県知事・・)さんが療養で柏屋におられたときにこの辺りは九州の気候にそっくりと言われ、それをきっかけに枇杷(ビワ)栽培がさかんになったとのこと。

それに、えーーーっ
まさかのこれは桜!


お正月に飾れる寒桜ね。
ほんのりピンク。
この峠の中腹はめいっぱいお日様を受けるものね。
巡り合えてすごーく嬉しい・・


足元にもまさかの展開が・・・
水仙が香りをただよわせてもうあっちこっちに咲き出している。蜘蛛もみつけっちゃったけど。
まさか春じゃないよね・・・?

可愛いピンクの乙女椿(おとめつばき)まで咲いてる!
江戸時代から愛されてきた園芸品種なのね。
街道の師走がこんな花盛りだったとは・・・

この峠を過ぎるとどんどん降りて興津宿あたりに行くことになる。向こうに見えているのは清水港、奥に静岡の駿府城が控えることになる。
眼下の狭い海際を通過しているのは国道1号線。その脇を東海道線がゆく。私達が今いる中腹は海を避けて峠を越す江戸時代の東海道・・・
と思ったのだけど一部誤解であることがわかった!
徳川家康がそれまで内陸を遠回り迂回する道があったのだが、直線に近く海際の山腹を一気に峠超えしてゆく道を整備して街道としたのかと思っていたのだけど、違った。
由比から興津までは・・・
平安時代から鎌倉時代は海岸の岩場(山の下のところ)を通っていた。
潮が引くのを待ち、波打ち際や岩場を通り抜けていたらしい。
満潮や波が高い時は通行難。
戦国時代には峠を越す山道もあり、海と両方が適宜使われていたみたい。
(※薩埵峠付近は、足利尊氏vs.直義 武田氏vs.今川氏 武田氏vs.今川氏+北条氏 の重要な合戦場だった)
徳川家康の江戸時代になった時には、最初、街道としては海岸沿いの危険な道が利用されていた。(えー!)
が、明暦元年(1655)朝鮮通信使を迎える際に、この崖の中腹を通る峠道が整備された。厳しい峠で依然難所ではあった。(えー!!)
そして、嘉永7年(1854)安政東海地震(南海トラフ巨大地震)が発生して、海岸が隆起、海岸沿いに道を通しやすくなった。
その結果、再び交通路は海岸側に移った。(えー!!!)
現在の国道1号線はこの上を走っているんだそうです。
東海道本線や東名自動車道もトンネルなど土木技術を駆使してこの狭い地形を通過・・・
今でも国交省の「由比地滑り対策」事業が行われていてそのトラックが峠の下を往来していた・・・
昔からドラマだらけの峠・・・
さ、では、深呼吸して峠を下りてゆきましょう。
海が近づいてきて一気に陸地の視界も広がった。
大きな興津(おきつ)川。広重の絵では力士が かつがれて渡ってゆく川。流れ込ゆく駿河湾の波が光っています。(このコラムの後ろの部分にあります。)


JRの鉄橋と国道1号線の鉄橋が川を渡っている。
橋の途中で白鷺の姿が整って美しく見えた。
渡ってから川岸に近づいてみることに・・


橋脚のカタチと影。
その前でついばみ、飛び立つ鷺。
上流を見て見ると、何羽かいますね。

おっ羽ばたく。後ろからみると大きい!
羽先がぐいっと曲げて力強い。
橋の上の方を見上げると・・・


わっすごい。鷺(サギ)が木の上に舞い降りる・・

高い声の方向には旋回する鳶(トンビ)。

あらー カモメさん?もやってきた。
海に近いからね。羽が透き通って見える。きれいね。
ほんとにいろんな鳥さん達に遭遇・・・
薩埵峠には地球の歴史も頑張った人々の歩みも刻まれているけど、
今を生きるいきものたちや植物たちの美しさも素晴らしい。
彼らのように地球が世の中が変わっても負けないように歩んでいきたい。
※ 薩埵(さった)峠の由来など・・・
珍しい名称ですよね。(以下は素人の調べなので詳しくはご自分でお調べくださいね)
仏教用語の「菩提薩埵」に結び付けられていて、サンスクリット語のbodhisattvaに由来とのこと。今一般に呼ばれている「菩薩」(ぼさつ)のことだそうです。悟りを求め、自分だけでなくほかの人々も救おうとする存在。ちなみに、「薩埵」という文字自体はすべての生き物を意味するみたい。
こういう名前につながったのは由比の倉沢付近の海岸でお地蔵さんが引き揚げられて近くの山上に安置されて祀られ「薩埵地蔵」と呼ばれるようになった伝説や、そして山も「薩埵山」と言われるようになったことや、「親知らず子知らず」(江戸時代初期に危険な海沿い又は険しい山道を歩いていた頃、追いはぎとなった父親が江戸に奉公に出た実の子供を間違って殺してしまった)と言われた悲しい物語などが関係しているようです。
こんなお話が背景にあるとは全く知らなかった・・・

安藤広重の描いた五十三次–第16の宿場 由比(由井)(ゆい)
東海道五拾三次之内 由比(由井) 薩埵嶺
東海道の難所の一つの薩埵峠からの景色。
駿河湾に面して切り立つ峠。奥には旅人が感動した突然現われる富士の姿。
松の姿も湾に浮かぶ船の白い四角い帆もピリリと美しい。

安藤広重の描いた五十三次–第16の宿場 第17の宿場 興津
東海道五拾三次之内 興津 興津川
興津川沿いに奥津の宿場があった。
河口近くを力士が川渡ってゆく様子。
川の上流から海を見る方向の景色です。
川は浅く橋がなく徒歩で渡っていたようです。
一人は馬で、一人は4人がかりの駕籠で渡っています。
湾には浮かぶ白い帆の船。
※補足
今回、由比(由井)薩埵峠と興津の二つの広重の絵を紹介しました。
私は⑯蒲原駅から由比宿本陣・由比港までのエリアと、⑰由比駅から薩埵峠を越して興津川を渡り興津宿場までのエリアとを それぞれ分けて訪問し作品のかたまりとしました。 広重さんは⑰エリアの由比薩埵峠と興津川の二つをそれぞれ、第16の由比宿、第17の興津宿として描かれています。

